滝沢コブラ / チェリーボンボン / ショウガールズ / ももグミ / ノコノコみさき / おちょおちょ / 相性はいいよね
春宮茉由(株式会社ビットプロモーション)/残間統/本田和大/鈴木淳/古林一誠(お座敷コブラ)/四條友起子(宝映テレビプロダクション)/伊藤裕一(お座敷コブラ)/小川千尋/関口空子(*ナノハナハナビ*)/山田せいら/海野亮平/おかもとひろき(ガソリーナ)/和世レオ(ヘルメス・エンターテイメント)/中田豪一/藤本貴行/佐藤 彩奈/橋本我矛威(ナンテコッタパンナコッタオーケストラ!)/庄子裕衣(amuleto)/村川加苗/小宮凜子(株式会社4C)/安見 謙一郎(パフォーマンスユニットUDATSU)
滝沢コブラを演じながら、コブラを全巻もって無かったので、全巻買って読み直しました。 今読み終わったんですが、、、
高階:ずっと秋田市の市長をやっていて、去年の選挙で知事になったのかな。ああ、それからもうひとつ。平福百穂の故郷ですから、角館は。近代で、彼はもう、僕がいたときから偉い絵描きさんで、歌人でもあった。岩波文庫の装丁なんかやってるんですよね。彼はデザイナーですから。僕が通った中学校も、百穂がいろいろ気を入れて作って。学校の記章とか旗とか、建物まで彼がやってた。人を角館に引っ張りたかったんですね、文化の町だって。角館は、今でもそうですけど、奥羽本線からちょっと離れてるわけです。奥羽本線は横手、大曲、秋田と行くから、大曲から別の支線に乗らなきゃいけない。不便だから、最初は中学校も大曲に作るっていうのを、綱引きをして分線に持ってきた。平福百穂がやったらしいんですけど。大曲にはしょうがなくて農学校ができた。だから中学があの頃は角館。で、その記章から何からデザインもしたし、建物も、これは火事で焼けちゃいましたけど、ちょっとこうしゃれた、木造ですけど、ピンクに塗ってあったり。それから校歌は島木赤彦と斎藤茂吉に頼んだとかね(笑)。
高階:フランス語はそこで初めて、ABC(アー、べー、セー)から始まったわけですよね。そして一年半ぐらいで進学、つまり教養から今度専門課程に移るというときに、みんなどうしようかって迷ったわけです。そのときはまだ僕はいろいろと本郷にもちょこちょこ顔は出してたんですけど。国文に行こうか、って国文のゼミ行ったり、英文が面白かったから英文学行ったり。だけど、どうもよく分からないし、みんなぼやぼやしていたら、そこの教養学部が、二年だけじゃなくて、さらに三年、四年もやると。つまりシニアコースもある教養学科を作るっていう話が出てきた。それは一高の先生方が中心になってやられたんです。つまり、一高も単に東大の下っていうのは、許さなかった。自分たちもちゃんとしたんだ。偉い先生がいましたからね。竹山道雄さんとか、前田陽一さんとか、木村健康さんとか、そういう先生方が、教養の一、二年もやるけども、三、四年も、少し人数を限ってやると。教養学科というのが、初めてできたわけです、三年目に。じゃあそこ行こうかって。それの第一回生。芳賀くんも、平川くんも、本間(長世)くんも、みんなそこに行った。
コント:スーツ屋さん(コブラ)【わらふぢなるお】 · Comments71.
高階:小学校のときからよく知ってるんです。小学校のときはうちのすぐそばで、一年上なんだけれども、体を壊して、小学校のとき遅れたんですね。一時期、胸を壊されて。小学校のときは、もう一年違えば大先輩。そしたら高校で一緒になって。彼とは一緒に仲良くしたんです。彼は、「いや、アメリカ科に行く」って。僕は半分軍国少年で、鬼畜米英とかいう時代だったから(笑)、ヨーロッパの科にしようって。ドイツ語には竹山さんがいて、ドイツ語にしようか。それから、イギリスは英文学が割に面白かった。僕は高等師範で、福原麟太郎さんにうちの父がずいぶんお習いしてて、家によく連れてっていただいた。欧米文学も面白いしっていうんで、教養学科でもどこ行こうかって、少しあちこちふらふらしてたんです。やっぱり、地域研究だといずれフランスへ行きたいっていうんで、フランス科になったんです。そういう感じですね。
高階:秋田の、今は仙北郡の千畑っていうんですが、角館の近くですね、南の。ここは佐竹藩があって、後で美術史にも関係する。小田野直武とか、秋田蘭画の発祥の地なんです。角館は昔から京都と非常に縁が深くて。佐竹曙山(しょざん)っていうのが、秋田の殿様です。それが秋田市にもちろんお城があって。角館にその支藩があって、佐竹の北家っていうんです。そこの城代をずっとしてるのが、佐竹さん。その町の中学に戦争中は疎開しました。だから小学校はずっと附属で、中学も附属に行きました。高等師範の附属中学。中学に行ったのが昭和19年だから、終戦の前の年ですね。でも東京は危なくなってきたっていうんで、中学入って半年ぐらいでもう疎開したんです。で、父が秋田だから、ということで。それまでも夏休みにはちょっと帰ったりしてたから。父の家は完全に百姓です。今の大曲っていう町から、歩くと一里半ぐらいあるのかな。だから冬なんか歩くのが大変だっていうぐらいです。そこに夏中学の一年の秋からまる二年。ちょうど一年後が終戦です、昭和20年だから。昭和19年の9月から21年の9月まで、角館中学。一年、二年、三年までですね。そして、三年のときにまた附属に戻ってきた。附属は一年の初めと、三年から行こうということになりました。角館は、行ってたときはあんまり知らなかったけど、そういう歴史があるっていう。秋田蘭画とか全然知らなかったんです。古い町なんですよね。東北で一番大きな武家屋敷が残ってる。直武の家もその前をしょっちゅう通ってたんだけど、知らなかった。今も残ってますし。秋田蘭画を持っておられる方もいろいろあって。で、その佐竹の殿様っていうのがいて、町では校長先生よりも偉いっていう。卒業式とか学校の行事があると、来るわけですよ。相当のお年の方が。それが校長先生より偉い顔をしてそのへんにいる(笑)。当時あの土地の人は皆知ってました。そのお殿様にお嬢さんがいて、お姫様と呼んでたんだけど、そのお姫様が後に僕の同級生と結婚した。お宅にいろいろ、直武の、捲りになってるスケッチやなんかがあって。それから佐竹の押し花の花葉集とか、これは展覧会に使わせてもらった。で、メインの公の日記やなんかは、かなり面白いんですが、それは図書館に入ってる。僕が見た偉いおじいさんのお姫様は僕の友達の奥さんだけど、その血筋にあたる佐竹っていうのが、今秋田県知事になってます。佐竹知事。
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高階:それから、ロシア文学科はなかったんだけれども、ドストエフスキー、トルストイですよ、翻訳ではね。米川正夫訳。それからあとは、シェイクスピア。それは翻訳ではなくて、シェイクスピア面白いんでっていうんで、一高時代、私は専ら本ばっかり読んでた。そういう文学関係ですよね。英文学、研究社の『英文学(叢書)』という、今でもある非常にいい叢書があって、それは全部揃えて買って、今でもありますけどね。で、結局、やっぱりフランスに行けるから一番いいなっていう感じで、フランス科に行って。先生は前田陽一先生。非常にいい先生でした。ドイツの竹山道雄先生も、たいへんいい先生だった。あの頃は、学生は先生のお宅に伺うんですよね。行って、ピザなんかをご馳走になりながら話をする。先生も大変だったと思うけど。前田先生のとこにもしょっちゅう行って。イギリスは木村健康先生って。これもいい先生で、これは経済の先生だったんです。だからイギリスに行く人はわりに、政治経済関係が多かったかな。話が面白かったんですが。早坂さんとか、経済、社会学関係の人かな、やっぱり。そこはちょっと顔を出したけど、やっぱり文学か、芸術学が居心地が良いというのでフランス科に行ったっていう感じですね。授業はそうするといろんなことやらないと。語学はもちろん非常に、いろんな先生方について。もちろん文学も読まされたり。それからフランスから先生を呼んで、実際のプラクティックもやって。ただ、教養学部のときでも本郷から出張講義があるんですよね。その出張講義で、美術史の矢崎美盛先生が来られた。あなた知ってますか。
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[PDF] 新年度を迎えて〜教育委員長・教育長ごあいさつ 平成25 ..
高階:彼が中国専門だけど日本のこともやる。東洋専門。矢崎先生と二人だから、矢崎先生は日本のこともやらなきゃいけないし、西洋のこと全部やんなきゃいけないわけ。だから、それは大変ですよ、古代から何から。その僕が行った最後の年は、ジョルジュ・サールの『ペルシャ美術』の、英文版を使ってましたね。それを写真に撮って読むとかですね、原典購読。もう一つが日本の建築について。これは日本建築の基本知識、枡組(ますぐみ)とは何だとか、虹高梁(にじこうりょう)とは何かとか、日本の間口・奥行きがどういうふうになってるっていうこととか、きちんと教えてくださった。逆に言えば、今よりは、なんでもやった。日本では今は建築史あんまりやんないですよね、美術史では。工学部に行って。だから僕がフランス行ってびっくりしたのが建築史をやらされたことです。だから僕のときでさえ、それは少し増えたけれども、やっぱり西洋のことは全部やらなきゃいけなかった。だからルネサンスもやるし、19世紀もやるし、中世もやるし。矢崎先生はおひとりで全部やっておられた。ただお体が弱くて、これまた悲劇なんですけど、大学院が4月からっていうときの3月に現職で亡くなられたんですよ。しばらく病気で、ずっと休んでおられて。だから大学院がずっと遅くなった。実際の授業はもう夏休みぐらいまでなかったんですけどね、全体として。矢崎先生のご葬儀が、確か3月だったかなぁ。もうぎりぎりで。僕は大学院に行きたいっていうことを決めてたときに、亡くなられて。もちろん大学院に入ったんですけど、矢崎先生はいらっしゃらない。そのときは美学・美術史ですから、中心は美学の竹内先生。彼はドイツの現象学。それから米澤先生がおられた。で、大学院のときも入試があったわけですよ。まあ面接ですけどね。それは竹内先生が中心に。矢崎先生は病気で、もう来られない。竹内さんからなんか難しいこと聞かれたけれど(笑)、まあ一応入って。美学・美術史でで、入ったら研究室ごとに別れるんですよね。美学研究室、美術史研究室って。美術史に来たのが3人、僕を入れて。あとの2人は前から研究室にいた。1人が水尾比呂志さんっていう。
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【R149m】 コブラ COBRA 完全版 1〜12巻完結全巻セット 寺沢武一
芸歴10年以下の出場制限が撤廃された「R-1グランプリ」。今年は大会史上最多となる5457人がエントリーした。準々決勝は2月1日(木)に大阪・よしもと漫才劇場、2月2日(金)、2月4日(日)、2月6日(火)に東京・ルミネtheよしもとで実施される。
テーピングにただロゴをプリントするのは誰にでもできること…ならば形状から ..
1月17日と翌18日に大阪・なんでもアリーナ、1月22日から1月24日まで東京・シダックスカルチャーホールで2回戦が開催され、24日までに各日の合格者が発表されていたが、このたび22名の追加合格が決定。大阪会場からはうえし、ボブスレー黒岡、府上ふが、ぶるぼん、、酒井孝太、、子安の8名、東京会場からはメガネロック大屋、滝沢コブラ、三戸キャップ。、、、、、森本、星野、、RG、ハチカイ警備員、薄幸、ウーマン吉原の14名が準々決勝へと進む。
『コブラ会』シーズン3、続編開始当初の面白さを失った残念な三作目
高階:万博だから、日本はあの時は商工省。今の経産省。商工省が肝いりで、日本の宣伝ってことで、何を見せるか。で、日本のパビリオンを出す。1937年ですからね。日本館を出す。その建築を、最初は岸田日出刀さんと東大の偉い先生が中心になって委員会作ってやって。そのときはもう完全に帝冠様式で、日本式の、という案を出して。しかしそれは、ここでやったら場所が合わないってことで、たぶんだめだったんですよね。結局、実際に作るのは現地の人だから。それでどうしようって。最後に、坂倉さんがちょうど帰ってきたばっかりで、向こうのことよく知ってるからあいつに任せようっていうことで入ってきたんですね。だから坂倉さんとしたら、そんな大役っていうのは、考えてもいなかったらしいですけどね。そのとき面白いのは、日本風の和風建築でやれっていう指定を受けてた。それを無視してああいうのをやっちゃったわけですよ(笑)。ガラスと鉄だから。それで、日本では商工省が怒ってね。パビリオンごとの建築コンクールにそれを出さなかったんですよ、日本側は。これはもう自分のではないって。
それで、自薦でも他薦でも出さなくて候補にならなかったのが、審査員の(オーギュスト・)ペレ(Auguste Perret)なんかが行って見た時に「これがいい、出せ」(笑)って言われて、そしたらグランプリ取っちゃった。あれは無くなって惜しいけど、資料を見ると本当に面白いですね。非常に新しい。確かに鉄とガラスだけど、日本的な空間構成。斜面を使ってるから非常に作りにくい所だけど、張り出しをうまく使って。しかも斜面の木をなるべく活かしてるから、中と外が非常にうまくつながって。向こうの人には、これは非常に理論的な空間。つまり、閉ざされてないとか、スマートだとかいうんで、非常にお褒めをもらったんです。岸田日出刀さんもその賞を取ってからがらっと変わって(笑)、なかなかいい建築家だって書いたり。それは井上章一さんの日本建築の本にも載ってます。それで坂倉さんの先輩に前川(國男)さんがおられたわけですけど、坂倉、前川というのはコルビュジエのお弟子さんです。それでコルビュジエが日本に紹介されて。そのときに坂倉さんはコルビュジエと非常に親しくて、コルビュジエの理論を紹介するって約束してこられたんです。コルビュジエの本を日本で翻訳しますって。コルビュジエもやってくれって。日本にも客があったから。
ところが坂倉さん忙しくてできないんで、誰か下訳をしてくれる人を、パリ時代の友達を通じて探した。これは丸山熊雄先生が中心だったんです。やはり僕が教養学科でお習いしたフランス語の先生です。学習院大学に移られましたけど、東大で、前田陽一先生なんかと一緒に教えておられた。フランスにずっと行って来られて、パリ滞在記を書いておられます。非常に面白い。純粋な文学青年で、もうやたらに本をよく読んでた先生で。坂倉さんも向こうに行っておられて、1920年代っていうのはわりに良かったわけですよね。わりに日本も景気良かったし、まだ戦争になる前で。それで仲良く、みんなであちこち回ったりして。その縁で坂倉さんが丸山先生に、「じゃあフランス語できる学生に誰か、手伝わせてくれ」と。それで「坂倉さんとこ行け」って言われて、初めて僕は行って。そしたらコルビュジエの本を、これはコルビュジエと相談して、二冊、まずやると。それは『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』(L’unité d’habitation de Marseille, Souillac – Mulhouse, 1950)と『マニエール・ドゥ・パンセ・ユルバニスム』(Manière de penser l’urbanisme, Boulogne, 1946)。都市計画はかくありたいって。どっちもマルセイユから来ましたけど。それを翻訳するということで、坂倉先生から下訳を頼まれて、お宅に伺ってその本を見せてもらって。建築のことはまだ全然知らなかったんですけどね。面白いって。坂倉さんも美術史の仲間でもあったでしょうから、いろいろ教えてくださって。建築用語なんか何も知らないですから。非常に面白かった。
誰も警察を呼ばないのだろう? とツッコみたくなってしまう(空手の乱闘 ..
2021年に設けられた10年の芸歴制限が撤廃された大会。街裏ぴんく、トンツカタンお抹茶、どくさいスイッチ企画、真輝志が決勝初進出となった。ファーストステージでは、ルシファー吉岡が1位となり、街裏ぴんく、吉住が続く形に。ファイナルステージでは街裏ぴんくが審査員5名のうち3票を獲得して優勝。漫談にこだわり続け、芸歴20年目で栄冠を手にした彼は「R-1に夢はあるんですよー!」と叫んで喜びを爆発させた。
マスタングSVTコブラの右斜め前写真展・SVT cobra ..
高階:そうそう。よく覚えてるね。だから、柳さんは坂倉さんが大家だったとか言って(笑)。そこに、しょっちゅう通ってたんですよね。そして、最初はコルビュジエの『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』を翻訳した。坂倉さんは吉川(逸治)さんとも親しくて、要するに美術史仲間ですから、坂倉さんのおうちに伺うと、吉川さんが来てて喋ってたりね。
滝沢ダム1997年から2009年まで過去最長の12年間所有してた1997SVTCOBRA ..
2004年、現在はラッパーとして活動しているYoung Yujiroとのコンビ「裏ブラウン」を結成。コンビ解散後、2007年にピン芸人に転向し、「体験した話」という体で繰り出すファンタジックな漫談で人気を博す。事務所の若手ナンバーワンを決める「トゥインクル1グランプリ」で2019年と2023年、芸歴11年以上のプロのみが参加できる大会「Be-1グランプリ」で2022年に優勝。2024年には「R-1グランプリ」で優勝した。
」 滝沢君から預かったのは… 『………………………』 家族に見捨てられた女の子で ..
高階:ちくま学芸文庫で、コルビュジエの『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』(筑摩書房、2010年)。この単語が非常に訳しにくいんですね。要するに集団住宅とか集合住宅なんだけど。去年はコルビュジエが世界遺産になるとかでいろいろ話題になって。復刊版はもちろん新しい訳ですけれど、あれは山名(義之)さんがやったのかな。あとがきに、最初は坂倉さんが出したと。そして新しい訳者の方も坂倉さんの訳を参考にして読んだということが書いてありますけど。やっぱりコルビュジエの建物を紹介するのには非常によかったと思います。それをまずやって、その次は都市計画の本。これは都市計画はいかにやるべきかっていうので、これも元の本と同じ造本で、図版入りで出した。これも僕が向こうに行ってる間に出ました。坂倉さんがパリに来られたときに持ってきてくださったんですけどね。それで建築はなかなか面白いって。それで少し話飛びますけど、当時パリに行くには飛行機か船です。もちろんジェット機じゃなくて、飛行機だったら南回りで三日ぐらいかな。カルカッタかどこか、休憩地で泊まって。でも飛行機の方がちょっと高いんですよ。船だと一カ月かかるけど安い。っていうので、結局船で行ったんですが。それはまた面白かった。そこで初めてフランスの生活っていうのを知ったわけですから。船はマルセイユに着くわけです。着いたら、驚いたことに僕に迎えが来てたんです。誰かと思ったら、マルセイユ柔道クラブの副会長っていうわけ。その人が高階を迎えに来た。なんでって聞いたら、「イヴ・クライン(Yves Klein)の友達だ」って。僕はイヴ・クラインとは日本で親しかった。君は会ってるかな、イヴ・クラインは。
223.9K1週間前. 1階 9列目の見え方です!ご参考までにどうぞ!(
高階:つまりどっかに入んなきゃいけないから。戦争中は剣道か柔道か。終戦後なくなっちゃいましたけどね。水泳部になったりね。終戦前はしがない柔道家。たいしたことはできないけれども、一応、柔道とは何か、ってことぐらいは、しゃべれるわけですよ。乱取りってなんだとかね(笑)。これはこういう意味だって、校舎の中で。で、講道館の話とか、非常に面白かったんですよ。それこそ、素人二人だから(笑)。日本の武道の話なんかもしてたんですね。だから彼とはわりに親しかった。彼はマルセイユの柔道クラブに行ってたらしいんですよ。僕は知らなかったんだけど、高階っていうのが行くと。ベトナム号で着くっていうのも、彼から連絡がいってて、迎えに来てくれて。向こうは「日本の柔道のこと知りたい」って(笑)。それは困っちゃったんだけど、非常に親切にしてくれて。それでマルセイユに一晩泊ってパリに行くわけですけど、「どこでもご案内しましょう」って。イヴ・クラインってのは偉いんだな、向こうの人にとっては。「イヴに言われたんだから、なんでもやる」って。マルセイユも僕は初めてで、今から考えればノートルダム・ド・ラ・ガルドとかいっぱい教会あるのに、コルビュジエを見たいって(笑)。そしたら、「なんであんなものを」って(笑)。評判悪かったらしいんですよ。「あんな変なものに行きたいのか」って。ちょっと離れてるとこなんですけどね。僕は本の訳をしたし、見たいって言ったら親切に連れてってくれた。スクーターの後ろに乗せて、ばぁーって行って。それで中の人と交渉して、ずーっと中も見せてもらった。それは面白かったです。屋上まで全部見せてもらって。初めてコルビュジエの建築を知って。マルセイユで見たのは、美術館も行かなくてコルビュジエだけで(笑)、そのあと柔道クラブに行って(笑)、いろいろお話を聞かせて。それは弱ったんだけど、適当に話して。非常に親切にしてもらって。そして、その次の日にパリに。コルビュジエ関係はパリでは大学都市に行きましたけれども。すぐそばにスイス館があったところ。コルビュジエのことはずいぶん興味があって、現代建築は面白いなっていうのがありました。それでパリに着いたら九月から始まって、ということですよね。