キングやナット類といった小物まで、整備用部品が何個ずつ必要かという点まで検討が行


パースの南300Kmバッセルトンで開催されたアイアンマン西オーストラリア大会へ
昨年に続いて参加してきました。結果14時間51分(今回トップと11分遅れ、前年よ
り36分遅れ)で年代別2位でした。しかしトップの豪選手は奥さんのお許しがでない
そうでハワイ出場を辞退したためその権利が小生に回ってきました。おかげさまで4
年ぶり5回目のハワイ出場が実現し大変ラッキーでした。両方のかみさんに感謝です。

現地は初夏、朝晩16℃以下、日中24℃前後で日差しは強いですが(紫外線は日本
の7倍という)殆んど汗もかかず快適に過ごせます。相変わらず小さなはえが顔にま
とわりつき閉口します。スイムは水温20℃位か前半大きな波が寄せてきて怖いくら
いでした。リタイアした選手がかなり出たようです。
バイクは全くフラットの3周回のコースです。向い風や股下の痛みに悩みました。プロ
と一緒のコースですので彼らの速さ、強さを目の前にできます。ランも全くフラットなき
れいな海を眺めながらの4周回のコースです。4周めには日没暗い中を走りますが多
勢のボランテイアのサポートと観客の皆さんの盛んな応援のおかげで感激のフイニッ
シュができました。
JICやリピーターのお仲間とレース前後でおいしいビールを飲みながら至福の時を過
ごしました。かみさん、バイクショップの親父さん、内科やカイロの先生や応援していた
だいた皆さんに深く感謝申しあげます。

今年は県トライアスロン協会としてデュアスロン1大会、3つのトライアスロン大会を開
催しそれぞれ重大事故なく盛会裏に終了することができて大変ありがたくよかったと
思います。実行委員会の皆さんを筆頭に役員はじめマーシャルやボラで協力していた
だいた協会の皆さんの絶大なる努力と協力の賜物であり深く感謝致します。来年は
新体制で臨むことになっておりトライアスロンのますますの発展を願って努力してゆく
つもりです。

12月5日(水)~6日(木) 晴れ 自宅 11:45発~羽田空港 0:45A発~シ
ンガポール7:15AM着(現地時間 時差1時間遅れ,所要時間7時間20分 約57
00)堤では桜の葉がすっかり落ち、庭のさざんかの花がそれでもきれいです。
新幹線の中で缶ビールとおむすびの昼食です。ビジネスのお客さんには恐縮です。
富士山が宝永山のレベルまで雪に覆われてきれいでした。
今回は乃木坂の国立新美術館で開催されているリヒテンシュタイン展を鑑賞しました。
ルーベンスのクララの肖像初め1617世紀の作品が展示されていました。特に男性
の肉体美(彼らはどんなトレーニングをしていたのでしょうか?)豊満な(太っていませ
ん)女性も美しいですね。眼光やぶどうの房も本物のように輝いていました。日比谷
公園を散歩しました。季節はずれのなでしこやつりがね草が咲いていました。黄色の
銀杏がきれいでした。有楽町で稲毛の強豪トライアスリートT氏と韓国料理屋で会食
しました。チェジュには5回行きましたがチジミなど韓国料理は日本人の舌によくあい
ます。ビールとマッコリをおいしく飲み歓談しました。激励に感謝しお別れしてモノレー
ルで羽田空港へ。ツアー会社のM氏とN嬢が見送りに来てくれていました。
チェックインではバイクのサイズ(辺の和)は218Cm、重量20Kgに抑えたのでオ
ーバーチャージなしでした。中には275Cmの豪傑がいました。往きはOKでしたが帰
りはとられたようでした。JIC会員のS氏や前回一緒だったU氏やT氏に会えて心強い。
離陸前S氏と軽く飲みました。
機内ではすぐ軽食がでましたがいいささか飲みすぎましたのでワインだけにしました。
ほとんど眠れず6AMには朝食です。シンガポール空港に7:15AM 非常に滑らかに
着陸しました。前回と違ってトランジットは1時間半と短くツアー仲間と迷いながらもシ
ャトルトレインで無事にターミナル1へ着きました。

12月6日(木) 晴れ シンガポール8:40AM発 ~パース1:30P着(所要時間
4時間50分 約3900Km) 3:00P発 ~バッセルトン(パース南約300)
6:40A着 (自宅から約30時間かかりました)
パースでは現地ツアー会社のNさん(日本人女性)が迎えてくれて人位のツアー
仲間と合流しました。外は日差しまぶしく気温24℃湿度60%くらい大変乾燥していま
した。大型バスに乗ってバッセルトンに向かいます。途中低い潅木と未開発地?
(稀に草をはんでいる牛や馬が見られます)がえんえんと続くのは昨年と同じです。
道路の速度標識は110Km、ただしバスやトラックは100Km/hのリミッターがつけ
られているそうで乗用車がドンドン追い越してゆきます。道路左側は自転車又は事
故車両のためのレーンが設けられており羨ましいです。100Km以上走ってようやく
GSとレストランが現れます。ガス欠になったら大変です。
前年と同じホテル(会場まで5分です)に着き部屋には電子レンジ、冷蔵庫が付い
ており安心しました。早速S氏、Y夫妻とスーパーに行きパンやビールなどを購入しそ
の足でいつもの中華料理屋で夕食としました。酒類はB.Y.O.といって各自で持参
することになっています。日本と違って写真付のメニューがなくウエイトレスとやりとり
しなんとか注文し皆さんで分け合いながらおいしく味わいました。部屋に戻りバイクの
組み立てをしました。デイレイアーの固定をU氏(毎回バイクメンテを引き受けてくれ
ています)にしてもらいました。

12月7日(金) 晴れ 風強し バッセルトン 6AM起床よく眠れました。試泳のた
めジェテイ(南半球最長1.8Kmの木製桟橋)へ行きましたが風強く波が高くとても長
く泳げず早々に引き上げました。(気温、水温とも約20℃)。レースデイがこんなでし
たら大変です。7AMホテルのレストランでY夫妻と同席し朝食です。パン、シリアル、
ジュース、コーヒーや果物などフリーです。前回と同じく暖かいボリュームのあるベー
コンエッグがメインディシュです。
9AM大会事務局で選手登録を無事にすませました。A$25の1デイライセンス料は
JTUカードを示せば不要です。わずか500円のJTU登録料を払うことで今年はIM豪
とIM西豪大会でA$50(約4500円)を支払わずに済んだことになります。エキスポ
でサンバイザーと靴下を買いましたが高いです。昼食後バイクの試走をして異常なし
を確認しました。向かい風時は20Km/hです。5:30PMカーボパーテイへY夫妻、
U氏らとでかけました。外を歩くととにかくハエが顔にまつわりつきます。料理は例に
よってうまくありません、ビールも売っていません(ドイツではカーボでもビールがあり
ました)。主催者やスポンサーのS社(紫外線が強く皮膚がん予防のためサンスクリ
ーンを扱っている)の挨拶は少々理解できましたが大人気のJ.S選手のスピーチは
全く分かりません。ビデオで競技説明がありました。

12月8日(土) 晴れ バッセルトン 6起床。外は16℃、海に行き10分ほど泳
ぎました。水温は約22℃、今日はべたなぎです。朝食後バイク試走、風弱くありがた
し。蝉がチッチと鳴いています。日本と違って騒がしくないです。バイク、ギアバッグの
チェックインの前に中味をY夫妻とチェックし合いました。バイクとランの中味が違って
いたら大変です。チェックイン入り口ではヘルメットのチェックのみです。バイク、ギア
バッグはそれぞれのラックに自分で架けます。特にギアバッグのラックにはレース朝
も近ずくことはできません。最後にタイミングチップが渡されます。ボランテイアをしてい
たシドニーの強豪G.T選手(前年彼がトップ、自分が3位)の奥さんにご挨拶いただき
ました。よく覚えていてくれました。
これですることはありません。かみさんと土産などショッピング、早々にホテルへ。レー
ス前日だけはアルコールなしです。まぜご飯、ラーメン、鮭缶などで夕食です。食べら
れなくなりました。バイクで食べるゆべし、羊羹、飴などをオブラートで包み(包装紙の
投げ捨てはリッターリングのペナルテイです)準備完了。8PMにはベッドに入りました。

12月9日(日) レースデイ 晴れ バッセルトン 2:50起床。よく眠れました。
外は14℃、まずまずのお天気です。朝食は赤飯と味噌汁などしっかりとりました(レス
トランで用意してくれますがパンではすぐお腹がへってしまいます)。バイクで食べる
梅干入り赤飯のおにぎりをアルミフオイルで包みます。4AMボデイマーキングなどに
出掛けましたが結局ボデイマーキングはなし、ウエットスーツの着用はオプション(着
用は任意)を知らされました。バイクのエアー入れ、ベントーボックスにおにぎりなどを
詰めて一度部屋に戻ります。かみさん特製の辛子入りワセリン(昨年ドイツ、今年5月
の豪大会で効果確認済み)を身体の隅々までぬりたくりウエットスーツを着てスイム
会場へ。
スイム:1時間39分45秒 (今回トップ比▼20分00秒、前年大会比 ▼6分56秒)
スタート前若い時のようにわくわくした感はなくやれやれといった感じですがせっかく
ここまできたのですからやるしかありません。国歌の吹奏後約30人のプロが1人ずつ
紹介されて海に飛び込んで行きます。5:30AM50m沖からホーンの合図でスタート
してゆきました。我々エイジグルーパー約1500人は沖にいる人、砂浜からの人様々
です。自分はもちろん最後尾です。5:45AMいよいよスタート、長い一日が始まりま
した。
過呼吸に陥入らぬよう慎重に泳ぎ始めましたがすぐ右手から大きなうねりが寄せてき
て(過去最大級です)とても右オープンでは水を飲んでしまいます。桟橋を見ながらの
左オープンでなんとか泳ぎ続けました。レース後かみさんから水上車が頻繁に行き来
していたと聞きましたがリタイア者が多く出たものと思います。辛子入りワセリンの効
果でさほど冷たくありません。皆さん先にいってしまいバトルには巻き込まれません。
それでも1.8Km先端の2つのブイ付近では混雑しました。ここで無理なキックをしま
すと痙攣を起こします。さて復路です。うねり、波は左からのフオローになり右オープ
ンで楽に泳げました。前回は右方向に流されロスしましたので頻繁にヘッドアップして
桟橋寄りの最短コースをとりました。砂浜に上がると1時間分位でしたがこの荒れ
ようではまずまずと思いました。

バイク: 7時間37分29秒 (今回トップ比▼56分50秒、前年大会比▼16分33秒、)
トランジションでは風雨に備えて長袖とタイツをとしましたが終始晴天で不要でした。
しかし乾燥しているため殆んど汗をかきません。ボラに顔面にたっぷりサンスクリーン
を塗ってもらいました。これは必須です。ラックにはバイクがぱらぱらでした。レースナ
ンバーは年代別でないためライバルの位置など不明です。1周60全くのフラットコ
ースですが風が強くともすると20Km/h位で走っています。どんどん抜かれますが
スイムがよほど遅かったのでしょう。女性選手が大して力は入っていないようですが
とにかくリズミカルに回しており反省しきりです。
郊外では低い潅木でせみが盛んに鳴いています。20おきのエイドステーションで
は学生さんが水、ドリンク、バナナなどチャージしてくれます。はえが多いので黒いネ
ットをかぶっている人もいます。当然食べ物にもたかっています。水、ドリンクだけい
ただきベントーボックスの赤飯のおにぎり、湯べし、羊羹、あめなどを食べました。
塩分と糖分をとれる日本食はいいと思います。路面は一部荒れていましたがよく整備
されていました。それでも5~6台のトラブルを見ました。周回ですので前半はプロや
早い選手が対向し、ゴーゴーと音をたてて追い抜いてゆき格好いいです。後半になる
と選手はパラパラ寂しくなります。股下が痛んできてしばしば立ちこぎをしました。
1周目は2時間33分、2周目同30分、3周目同分位でした。幸いパンクや落車な
どなく無事にバイクフイニッシュができやれやれです。

ラン: 5時間12分22秒 (今回トップ比△1時間8分56秒、前年大会比▼6分18秒)
計: 14時間51分14秒(今回トップ比▼10分57秒、前年大会比▼8分56秒)
総合1100位/完走1239人 年代別2位/完走4人
トランジションでは半袖、ランパンとしました。4周回コースで会場付近では多勢の観
客が盛んに応援してくれ力になります。終始美しいビーチを眺めながら走る全くのフラ
ットコースです。2おきのエイドステーションではサービスも結構です。バナナ、クッ
キー、スイカなどをいただきました。バイクと違って遅いためはえが頻繁に顔にたかっ
てきて2回位呑みこんでしまったようです。歩いている選手が多く見られましたが彼ら
は腕に何周回かしてきているゴム輪をつけています。ツアー仲間と声を掛け合い、日
の丸をかざしたかみさんにも元気をもらいました。周目までは太陽がかんかんと照っ
ていましたが4周目には日没になり足元に注意です。ハワイ、フロリダ、ポートマッコ
リーなどでは転倒し怪我をしています。かみさんから受け取った日の丸の小旗をかか
げ皆さんの盛んな声援をいただきながらフイ二ツシュできました。なにより懸念してい
た右足の腱鞘炎?はテーピングをし、頻繁に水をかけて冷したことでそれほど痛まず
ラッキーでした。
スタート10Km:65分、~20km:70分、~30Km:75分、~フイニッシュ:102分
位でした。がっしりした2人のボラに支えてもらい完走メダル、タオルをいただき、お嬢
さん2人にもマッサージしてもらい楽になりました。当分走らなくてもいいでしょう。
バイク、ギアーのピックアップをしてかみさんとホテルに戻り(近いと本当にありがたい
です)バスタブに入りほっとしました。ビールはさすが飲めません。ラーメンを少し食べ
て横になりました。かみさんは洗濯にむかってくれ感謝です。長い一日が終わりました。

12月10日(月) 晴れ バッセルトン 5AM起床。爆睡でした。バイクのパッキング
後レストランで朝食。JICのH氏は見事トップ、ハワイゲットです。最年長のK氏も完走
できてハワイゲットしお祝いしました。Y夫人は4週回目に出してもらえず完走できず
惜しかったです。10AMリザルト発表、自分はトップに11分及ばず2位でした。11A
Mからのロールダウンを待っている時トップの豪選手B氏がやってきてハワイには行
かないから権利はお前に譲ると言いました。理由を聞きますとかみさんが賛成しない
からだそうです(昨年2位のJICのT選手がハワイゲットしましたがトップの豪選手が
同じ理由で譲っています。どうも豪の奥さんはハワイなど眼中にないようです)。子ど
も3人(孫5人)はトライアスロンはやらないは自分と同じです。アワードパーテイで赤
ワインを飲もうということで合意しました。
55歳~A氏、60歳~H氏、65歳~N氏、70歳~自分、75歳~K氏といずれも日本
選手がハワイゲットしてシルバーパワーを大いにアピールすることができました。
JICのS氏、H氏、M夫人とY夫妻で中華レストランに行きました。メニューを見ても内
容が分からず先客がおいしそうなヌードルを食べておりあれがいいというと彼らは愛
想よくかざしてくれました。
5:30PMからアワードパーテイ。かみさんは50A$(4500円)です。皆さんで2テー
ブルを囲みました。
料理はカーボより豪華で牛肉もまずまずでした。ビールやワインはいずれか1つです。
大阪のM夫人と同席しました。Z社がスポンサーになっているようです。バイク事故に
あったばかりですが見事3位です。次年はNZに行くようです。充分飲み食べた後セレ
モニーです。大会のビデオ放映後若いエイジからトップ3が表彰されます。我々エイジ
はトップ(豪74歳)、2位(自分70歳)、3位(米74歳)です。トップのB選手に赤ワイン
をプレゼントしました。最後はプロ5位までが表彰されました。男女チャンピオンがボラ
やスポンサーに感謝しながらスピーチしました。8PM過ぎ来年の再会を期して閉会し
ました。

12月11日(火)~12日(水) バッセルトン8AMホテル発、~パース4:00PM発~
シンガポール10:0PM発、~羽田5:30AM着~自宅11:00A着
27時間かかりました
皆さんで集合写真をとりまして大変楽しかった5日間の滞在を終えホテルを後にしまし
た。機内、乗り継ぎも無事にクリアして成田着。荷物もすぐ出てきました。ツアー仲間
に再会を期しながらお別れしました。大変楽しかったアイアンマンツアーが終わりまし
た。お世話になりました大勢の皆さんに深く御礼申し上げます。
(大会開催日:2012・12.9)





流動小説集1―『無題(7)―A』:人間と物語生成システム ..

三回目となるハワイのアイアンマン世界選手権のレース報告をいたします。10月10日
の夜の成田発の便でホノルル経由してハワイ島コナへ。到着の現地時間は10日の
午後。選手登録を済ませてバイクの組み立て空港近くまでバイクの試走もする。
いつもと同じ事の繰り返しとも言えるのですが、時間の経過とともに大会の雰囲気に
慣れて行くように思える。10日の夜はホテル同室の72歳の滝豊水さんとともに四国
愛媛の芝ご夫婦が宿泊する2kほど先んのコンドミニアムへ夕食のおよばれに行く。
フィレステーキとサラダが美味しかった。ビールもいただきうたた寝する始末。長い一
日に疲れたようで、食後ホテルに戻り就寝。

翌11日(木)は7時過ぎにピアへ行き、スイム練習。赤い帆のヨットまで滝さんと泳ぐ。
恒例の行事のようだがコーヒーを立ち飲みして引き上げる。滝さんは8月にフレームを
変えたばかりでハンドルの高さなどポディション調整に余念がない。レースを想像して
準備に当たるこんな時間が好きだ、と思った。

翌日も朝から1キロほど泳ぎバイク&ランを少しだけして体調をはかる。午後からはバ
イクとバイクとランギアの預け入れをすませる。夕方、金沢から応援に来てくれた泉さ
んとも会えた。そして滝さんと三人で天丼とうどんを食べて夕食を済ます。レース前日
の夕方でいつも感じる事ですが、人通りが少なく感じる。そう思うのは自分だけだろう
か? いよいよ明日の朝が本番だ。そして8時半ごろには眠った。

13日(土)3時過ぎに目を覚ます。芝さんから頂いたオニギリとゆで卵、魚肉ソウセイジ
でお腹を満たす。スペシャルニーズとボディマーキングを済ませてバイクの空気圧や
ボトルをセットする。補給は一口サイズのオニギリ8個とパワーバーとスポーツようかん
とした。トランジションではトッププロも同じように準備している。レースナンバー「1」の
アレキサンダーに「Hi Creg! Good luck」と声をかけてみた。ちらりをこちらを見て「You
too」と返事が返った。

ホテルにもどり休む。日本から持ってきたロールパンを食べて時間を過ごす。6時過ぎ
になったのでレース会場へ。6時半前になった。スターティングセレモニー。ヘリコプタ
ーの爆音。スタート合図の大砲の音。観客の歓声。5分後に女子プロのスタートが切
られた。7時には我々のスタートだ。200mほどupして浜辺にもどるが、濡れた身体が
寒く感じる。5分前に泳ぎだしスタートラインへ向かい立ち泳ぎで7時を待った。

カイルアコナの朝。まだ太陽が昇っていない朝の空とそれを写す灰色の海は細かな
うねりはあるが穏やかに見える。浜辺から150メートルほど出たあたりに左右100メー
トルほどに広がりスタートラインができる。1800名あまりがスタート合図を待つ。自分
もその一人として手足を煽って立ち泳ぐ。何でここにいるのだろう? いつもの事なの
だが自分が世界選手権のスタートに立てることの不思議さに戸惑う。何度か時計を
確かめる。こうしてスタートを緊張して待つ時間が好きだ。仕事の事や家族、練習仲
間の事などなどが頭の中を過ぎる。しかしどれとして思考は定まらない。60歳を超え
てここにいられる事にあらゆる意味で感謝せねばならないのだろう。

ぼんやりしていると一斉に全員が泳ぎだした。スタートだ! GPSのスイッチを入れて
自分も続く。大したバトルはないがオーバーペースになってしまう。大きく長い呼吸を
心がけていく。1kmほど泳いだあたりでゴーグルに海水がはいって来た。それほどの
量ではないので視界に影響はない。止まってゴーグルをかけ直してもいいのだが、そ
れをやったところがまた水が入るであろう。そう考えてそのままにして泳いだ。最後ま
で3回に1回の呼吸で変わらずにペースを守った。これが良かったのかどうか。1時間
29分40秒。時計を見てスイムの進歩の無さに少々ガックリとくる。ウエットがないため
慎重になり過ぎてスローペースだったようだ。

T1での着替えで瞼に手が触れたとき瞼が腫れているのに気付いた。テントから出た
ところに医者がいるから診てもらい洗浄してもらった。大したことはないとのことだった。
いよいよバイクパート。早めにオニギリを食べながら進む。30kも過ぎたあたりから少
しずつ風がでてきた。溶岩台地の荒涼とした風景の中をDHポディションで風を切り進
む。最もハワイらしい。そんなときに「Goodrack!」と叫んでT川さんがパスしていく。
グイグイ進むT川さんのライディングフォームに力の差を感じた。ついて行きたいが無
理だ。いよいよ折り返しHAVYへの登り。ここまでのアベレージ30.2km/h。ダラダラ
とした坂が続き登るにつれ向かい風が強くなる。折り返し前の3%程の坂で13km/h。
DHバーを握り締めてひたすらクランクを回す。もうダメだ、と心が折れそうになる。
「This is the triathlon!」と噛みしめるように呟き耐えた。折り返しからは風に押されて
一気に下りきる。アベレージ29.2。ここからバイク終了まで70kほどは殆んどが逆風。
身体を小さくして風を避けながら進む。一口オニギリ15個、スポーツようかん1個、GU
のグミ2袋、パワージェル3個とスポドリ適宜。28.2のアベでバイクを終える。

いよいよランパート。ここからだ!と自分に言い聞かす。今回のレースの目標は12時
間以内、60-64区分15位以内と仲間に公言していたので4時間で走らねばならない。
パラニの坂を登りアリーdrへ行く途中突然速いランナーに抜かれた。グレグ・アレキサ
ンダーだ。トップはとうにゴールしてるだろうが、今年はだめだったのか。アレキサンダ
ーの走りの余韻にしたりながらしばらく走る。しかしなかなかペースが上がらない。頭
痛がし始める。脱水の症状か。キロ6分前後で辛うじて粘る。アリーdrの折り返しでT
川さんとの差は25分。ところが17km地点で歩いているT川さんを今度はパスする。
少し元気になったように感じたが頭痛は増してきた。30kmのエナジーラボの折り返し
のスペシャルニーズに梅干しを置いてある、なんとかあそこまでたどり着かねば。ふら
付きながら袋を手に吐き気をおさえて梅干し、レッドブル、ベスパを呑みこむ。ここでT
川さんにまた抜き返される。前に同エイジが二人いる事を告げると、分かったと力強い
返事。

次のA.S.で梅干しをもう1つコーラで流し込む。その辺りから頭痛も弱まり回復する。
日頃、高血圧症のため減塩と血圧の関係に敏感なせいか、血圧が戻って来たように
思えた。後11kmほどだ、思い切り走ってみるか! と自分に言い聞かせペースを上
げた。たぶんキロ5分20秒ほど? 同エイジを一人抜いて、また元気を取り戻す。後4
kmほどの地点まで来るとなんとT川さんの白いウエアが見えてきた。またT川さんを
抜く。クイーンズKとパラニの交差点までは500mほど登り坂になる。更にペースを上
げて一気に登り切る。後は下りだ。ストライドを広げるだけでスピードは上がる。応援
の日本人が大きな声で声援を送ってくれる。津川さん、山本淳一さん・・。高揚感で胸
が熱くなる。「これが、これぞトライアスロン」と。アリードライに入り、フィニッシュ。

結果は12時間18分40秒(s1:29:40 B6:23:08 R4:15:27 T1 6:01 T2 4:23)。
年代は17位でした。戦前の目標は達成できなかったが、満足のいくレースでした。
「ハワイ」が終わり一ヶ月近くが過ぎ振り返ると、改めてレースに参加できたことに、
そして無事に完走できたことに深く感謝せねばならないと思う。また石川の国体選手
や多くの練習仲間にも感謝いたします。またいろいろお世話になった同室の滝さんに
も感謝いたします。

滝さんの件で報告を:レース前日の試泳後のこと。ピアの横でクリッシー・ウエリントン
がTYRのバックにサインをして配っていました。自分たちもその列についたのですが、
列のひとつ前はバギーに赤ちゃんを乗せている人たち。順番が来て写真を撮ろうと
赤ん坊を抱き上げたら、バギーの後ろに掛けてあった一眼レフカメラやバックがバラン
スをかいてひっくり返ったのです。運悪く重たいカメラが滝さんの足の指先に。その時
は大したことはなかったのでしょうが、あとで内出血をして脹れてきた。どうみても痛々
しく見えた。レースでは痛くてランに手こずったようで、おしくも表彰台は逃しました。
バイク終了までは年代で2位だったとの事です。
「あれもこれもレースの内じゃけん」と言った滝さんだが、本当に悔しそうでした。
(大会開催日:2012・10.13)




ぎふ清流国体出場にあたり、応援してくださったみなさま、ありがとうございました。
今回、地元の和歌山県代表として、初めて国体の舞台に立たせていただきました。
支えてくださったみなさまのお陰で、素晴らしいレースをさせていただくことができまし
た。以下、大会の報告を書かせていただきます。ご高覧いただければ幸いに存じます。

1.結果
順位 18位(出場者44名)
記録 2:23:53(スイム0:27:29 バイク1:10:51 ラン0:44:00)

2.レース内容
スイムを、松丸さんと一緒にあがることができ、バイクは前半の20kmは、目標
にしていた松丸さん、小林さん、沢田さんと一緒の集団で走らせていただくこと
ができました。八尾さんが予測されていた展開がそのまま現実になり、驚きま
した。

お忙しいなかお時間をつくって、国体へ向けてのローテーション練習に、チーム
の仲間の菅沼さんや小坂さん、森口さん、八尾さんに付き合っていただいてい
ました。スピードも、まさに練習のときと同じでした。

近畿合宿では、初日に私たちの先輩である田山さんが来てくださり、いいお話
をしてくださりました。そのお陰で、私も含め、近畿代表で来られていた選手の
モチベーションもあがり、午後のトランジット練習では実りある練習をすることが
できました。スイムの後のトランジットでは、それが活かせ、集団のなかでは一
番で通過することができました。

ご自身の大切な時間があるにも関わらず、近畿合宿のサポートに来てくださっ
た吉澤さん。本日の国体会場には、遠くから応援にかけつけてくださった中原
さん、菅沼さん、小坂さん、塔本さん、原田さん、洋旭くん、福島さん、諒平くん、
虹奈さん。今回来られなくても、心を寄せてくださったチームのみなさん、職場
のみなさん、和歌山の友達、大学の友達。日頃支援していただいている支援
者やスポンサーのみなさん。その方々の存在が、本当に心強かったです。
私は多くの方に支えていただいていることを感じました。

今回の国体を通して、「力をつける練習」と「力を出す練習」があることに気づき
ました。力をつける、強くなる練習は一人でも、いつでもできますが、力を出す
ためには、支えていただいている方々とともに汗を流し合うこと、心を寄せ合う
こと、よろこび合うこと、支えていただいていることに気づき感謝することで、発
揮されると感じました。

レース中、心のなかに、常に一緒にみなさんがいてくださり、ありがとうござい
ました。ねばる勇気をいただきました。最後になりましたが、大切な気づきをい
ただき、最幸のレースをさせていただくことができたのは、大会を支えてくださっ
たJTUのみなさま、国体開催地のみなさま、ボランティアのみなさまのお陰です。
心に残る感動をいただき、ありがとうございました。心から感謝いたします。
(大会開催日:2012・10.7)




イリノイ選出議員キング氏は「下院は際聯盟憲章を修正し様なれば獨逸を武装 ..

ご無沙汰しております。小松です。今年のトライアスロンシーズンは月日(日)に
静岡県磐田市で行われたサンライズイワタ竜洋でおしまい。結局今年は宮古島・
バラモンキング含めて3つだけでした。本大会はトライアスロンを始めた年から
参戦しており、距離的にはミドルカテゴリー(: : :)に分類さ
れ、トライアスロンの厳しさを教えてくれた思い出深い大会です。年には約
名の出走者中位の結果、時間分かかっており、これほどの長時間にわたる
過酷なレースに体力・気力ともぼろぼろにされました。でも、レースを終え、自然とわ
きあがってくる次の目標設定、このレースに出場していなければ、ここまでトライアス
ロンを愛する事はできなかったかったかもしれません。

真夏のカ月は、バイクは、ランは程のトレーニングをして
きました。この程度の練習量は多くのエイジグルーパーの方がこなしていると思いま
すが、個人的には初めてこなす量でした。どの程度までトレーニングを詰め込めるか
自分の体で実験をしてみたかったこともありますが、この間長期休暇を取ったわけで
ないので平日早朝・夕方の練習が必要であり、体への負荷は尋常ではありませんで
した。結局このレース前には体が疲労困憊・全身筋肉緊張状態でした。今後のトレー
ニング計画の参考になるいい実験でした。

さて、レースですが台風号の接近により:::に短縮され
ました。スピードレースは苦手な私としては不利ですが仕方ありません。
朝時半スタート、肩甲骨部分の筋肉痛が激しかったためはリカバリーのたび
に痛みがはしり、速くゴールしてくれと祈るばかり。肩甲骨への負担をできるだけ平均
化するため、両サイドで呼吸をしますが、それだとスピードアップがなかなかできませ
ん。ただ、ラストくらいから左ブレスに集中しなんとかスピードアップ。途中、一人
で泳いでいたはずなのに顎に肘打ちらしいものをくらいました。目から一つ星が飛び
出るくらいの衝撃でしたので、周りを見ましたが誰もいません。ボラのようでした。

バイクはのオートバイ・テストコースを周回するものです。アップダウンが少
ない高速コースです。平均で走りきるのを目標とします。台風が近づいてきてい
るので当然ながら強風との戦い。途中からは雨も降ってきました。周回コースですか
ら横風、追い風、向かい風のすべてを周の間で楽しむ(?)ことができます。途中脚
力が同レベル程度のと乗りの選手としばらく並走しましたが、横風・向か
い風ではが圧倒的に速いということが体感できました。ただ、エアロポジションを
とっているだけで肩甲骨が痛みます。最後のランはとても憂鬱です。手元のサイクル
コンピューターでアベでバイク終了。

今回シューズはを使用、初めてペダルに靴をつけたままバイクトランジショ
ンを行いました。ただ、ウエットスーツを脱ぎ、靴下・ヘルメット・サングラス等々をのん
びり(はたから見ると、たぶん焦ってあーでもない、こーでもないとあたふたしているよ
うにみえると思う。)つけているので、あまりトランジションが速くなったという実感はわ
きませんでした。後で判明しましたが、私より上位の選手はだれも靴下をはいていな
かった。。。

ランに入ると、場内アナウンスが「東京から参加の小松選手、ただいま位でランをス
タート」と告げます。私より格段に速い人が名出場しているのを知っていたので、こ
こまでは体がきついなりに順調だなと思い最初から飛ばしていきます。後方程に
位の選手がいます。今までのレースでは大抵ランで数名に抜かれていたので、とに
かく出来るところまで粘ろう決意。が、海岸通りに出て、急激な向かい風になるとスピ
ードとともに、気持もなえてきます。「どうせ、位は無理だから位も位もかわらない
よな、こんな苦しいのはやめにしていっそ歩いたら?」と悪魔がささやきます。心の葛
藤としばらく戦っていましたが、位の選手との差が広がってきています。あー相手も
苦しんだよな、自分だけじゃないんだと慰めながら。折り返し地点からは、当然ながら
追い風です。気分は相当楽になりスピードもあがります。後ろとの距離がそれなりに
あったので位にはいれるんじゃないか希望が出てきますが、とうとう最後の付
近で人に抜かれてしまい位でゴール。全然ノーマークでしたが、この人はのランを分で駆け抜けており、完全に兎と亀の状態です。私なんかのラ
ン(だけ)のベストが分秒なんですから。。。。。

体調万全だったらとか、もう少し距離が長かったらとかいろいろ思ったりしましたが、
結果は結果。すべて受け入れることにしましょう。
距離時間順位通過



合計程
でも、この大会、アットホームで大好きなんです。総合位までの商品がメロンなん
ですよね。ピントがちょっとぼけていますが、満面のどや顔です。
今シーズンは何となくだらだらとトレーニングをしてしまったきらいがあります。そのた
め、シーズン後半に疲労が蓄積してしまいました。暫くトレーニングは中止して心身と
もにリセットします。そして、来年再びの扉をこじ開けたいと思います。
宮古島・アイアンマンケアンズに出場します。
(大会開催日:2012・9・30)





場所:アメリカ合衆国 ネバダ州 ラスベガス
天気:晴れ 水温:28度
最高気温:43度 湿度:15%
スイム:1.9km
バイク:90km
ラン:21km

ラスベガスと日本の時差は-16時間
9月6日(木)東京・成田空港を15時55分に出発後、ラスベガスに着いたのは
9月6日(木)15時30分。
日本を出発した時間が現地の到着時間とほぼ同じとは奇妙な感じである。
いつ起きていつ寝るのか体が結局馴染むことなく、今回のレースの旅が終わった
ように時差には苦しめられた。

9月7日(金)は、選手登録と競技説明会にカーボパーティ。
9月8日(土)ランギア、バイクギアの預託とレースに向けたスケジュールを着々と
こなしていくもののレースに来たという実感がなかなか湧いてこず、終始眠気 に
襲われ、外へ出ると40度を超える暑さでうんざり、ホテル内は約24~25度が逆に
寒すぎるぐらいに感じるものの外に出る気にならない。
そうこうしているうちにレース当日を迎える。

9月9日(日)レース当日
スタート時間は、6時30分の男子プロを皮切りにエイジ別で8時まで5分刻みで続
くフローティングスタート。水温は、28度とウェットスーツの着用は禁止。
7時45分の自分のスタートが始まるまでに先にスタートした選手が続々とスイム
アップしてバイクへと移っていく。

(スイム:1.9km 38分10秒)
スイムは淡水のラスベガス湖を使用し、折り返しが1か所の1.9kmのコース。
自分のエイジは3組に分かれてのスタートで選手が分散されたためバトルなく、
また波はなく穏やかであるが透明度が50cmもないため水中では前の選手が確
認できない。終始体が重くだるさを覚え、周りの選手についてはいかず、ほとんど
単独泳でマイペースを保ってスイムゴールを目指した。

(第1トランジット 5分21秒)
スイムアップからトランジットまでは約200mほどのラン。バイクラックにバイクギア
は設置しているためそこから、カーフガード・ソックス・サングラス・ヘルメットを身
に付け、補給食をウェアのポケットに入れて準備をしていると当然時間はかかる
が、それは想定内としてあせらずバイクへと移行する。

(バイク:90km 2時間49分14秒)
バイクは、折り返し1か所の1ループ。スイムアップから幹線道路に出るまでは上
りが続く。初めてのコースは未知数でしかもこの炎天下のレースとなると何が起
こるか分からない。100%の力を出し切りたいところだが、終始無理をせずという
気持ちも持って先へ進む。
ノースシェアロードを東に向かい折り返し35km地点まではアップダウンが続き、
周りは荒野で人影がない。交通規制はほとんどしていないため、時折大型バン
やオートバイが横を走り抜けていく。欧米勢は、平地と下りは聞いていた通りDH
ポジションでガンガンペダルを踏み込んで、日本人とは速さが明らかに違う。
上りでは追いつくこともあるが、平地と下りでは圧倒されっ放し。
DURA ACE Di2の電動シフトは、やはり精神的にストレスがなく、またKESTREL
4000 LIMITEDの軽快な走りは、アップダウンの多いコースでも有効で練習不足
を補うほどの効力があり、バイクに助けられた感があった。
エイドステーションはコース上に4か所のみ。水はキャップを外さずに吸って飲め
るタイプであるが、スポーツドリンクはキャップを外して飲むタイプの為、非常に扱
いづらい。補給を失敗すると命取りになるため、慎重にボランティアスタッフから受
け取り、水1本は頭・体へと被るために使い、もう1本は補給用で使用した。
しかし、水を被っても乾きが早く、受けとった水・スポーツドリンクがぬるま湯へと
変化するのも早い。
スピードメーターはつけていなかったため、速度は不明であるが周りの選手から
聞くと下りでは70km近いスピードが何度か出ていたと、そんなコースを往復で
走りながら再びバイクスタート付近まで戻り、残りは20kmほど。いつまでも続く
上り下りに苦しみ、外国勢に抜かれることで募りながらも自分のペースを守り、
EXPO会場でもあるバイクフィニッシュ地点に到達。

(第2トランジット 2分19秒)
バイク降車ラインでボランティアスタッフにバイクを渡し、トランジットからランギア
を持って着替えテントへ。キャッ プをかぶり、ランシューズへ履き替え、補給食の
チアパックをウェアの背中に入れてテントを出ると若い女性スタッフが大きな青い
ビニール手袋をして声をかけ てくる。「サンスクリーン!サンスクリーン!」日焼
け止めを塗るために待ち構えてくれている。「サンキュ~!オールボディ・プリ~
ズ!」上半身の顔以外は 全て塗りたくってもらい元気注入完了。ここからさらに
長い旅路のスタートである。

(ラン:21km 1時間57分43秒)
ランは、1周2か所を折り返す3ループ。男 子プロはそろそろフィニッシュが近づい
て来た頃にランをスタート。気温は、まだまだ上昇中で今まで感じたことのない暑
さの中でのハーフマラソンは未知の世 界。走り切れない不安はないものの、この
暑さでどれぐらいのペースで走ればいいのか、1週目は力をセーブしての走行と
なった。エイドステーションは3か 所。特に第3エイドから第2エイドまでは約3km
ほど離れていた為、1週目はこのことに気づかずとにかくのどが渇くため、かなり
長く感じた。
2週目は、 持っていたチアパックに水を入れ、この間での補給はうまくいったが、
なかなかペースが上がらずエイドステーションで立ち止まる時間が長くなっていく
一方。 欧米勢もランでは歩く選手が多く、泣きながら歩いていた女性選手が叫ぶ
「so far!」という声に自分もそう思うと同感しながら、3周目に入ると気持ちも前
向きになってくるが体が思うように前へ進まない。多くの選手が行き交うため全く
自分の順位が分からなかったが気にする余裕もなく、とにかく早くゴール を迎え
たい一心でフィニッシュゲートに辿り着いた。

総合タイム:5時間32分45秒 775位/1794人
40-44エイジ別 100位/ 208人
日本人 8位
※エントリー数:2591名 リタイヤ数:120人 失格:2名

最近レースに出ていて感じるのは、常に戦っているのは他の誰でもなく自分であ
る。中学時代に恩師から言われた「克己心」という言葉。いつまでたっても満足の
いくレースはできないが、少しずつは進歩しているのかなと自分に言い聞かせ、
今期の最終戦は終わりました。しばらくはゆっくり休み英気を養って、またこの舞
台で満足に戦えるだけの力を取り戻したいと思います。

(大会開催日:2012・9・9)



さんと、心の友・ママさん。恋人(?)の隣りに住んでいるエミちゃんたちを中心に ..

歩いても歩いても延々と続いていく様は圧巻。しばらく歩くと、四ツ辻という場所に到着。ここから山頂の一ノ峯に行くには約30分とのこと。せっかく来たのだからと、ここはチャレンジしてみることに。けっこう急な階段が延々と続き、へこたれそうになりながらもなんとか一ノ峯に到着。ちょっとしたプチ達成感を味わいつつ、いなり寿司をパクついてしばらく休憩。帰りは下りだからちょっとだけ楽だけど、足を棒にしながら振り出しに戻る。時間は13時半、ライブ開始まではまだ余裕があるのでしばらく散策を続ける。光明院というお寺をみつけて入ってみる。誰もいなかったので、落ち着いて瞑想にふける。それから東福寺へ。ここは以前にも来たことがある。広大な敷地で、なんともダイナミック。いい加減歩き疲れたので、東福寺駅から京阪本線に乗り込み三条駅へ。ブラブラと歩きながら、16時前にいったんホテルに戻る。夜はいよいよ磔磔で麗蘭のライブ。ライブは17時45分から21時まで。ライブ終了後、京都での行きつけの店「ぽんと」へ。娘さんが居なかったのは残念だけど、おかみさんが私のことを覚えていてくれたのが嬉しかった。おかみさんの話によると、建物が老朽化したため来年改装するのだそうな・・・。味のある雰囲気がいいのになぁ~というのもあるけど、これも時代の流れだから仕方がない。それでも元気に営業を続けてくれるのだから、またひとつ楽しみが増えたと考えておこう。隣に座っていたお客さんも交えて、いろいろな話をしながら楽しい時を過ごす。閉店時間の23時を過ぎても宴は続き、しまいにはまかないのシチューまでご馳走になってしまった。けっきょく23時15分ごろまで飲んで、大満足でホテルへと戻る。明日の朝早くに東京へ帰らなければならない・・・。だから1時過ぎにはおとなしく就寝。

30日は、5時前に起床して身支度。5時40分過ぎにはホテルをチェックアウトして、タクシーで京都駅へ。まだ朝早いというのに、けっこうたくさん人が居る。これもやっぱり年末だからかな。そして6時14分発ののぞみ200号に乗り込み、東京駅へと戻る。家に着いたのは、けっきょく9時30過ぎ。ソッコーで支度して、10時には出社。
2012年4月7日(土)~8日(日)、金子マリの「たっぷり金子な7日間」を観るために一泊二日の旅。4月に入って慣れない仕事でかなり疲れていたからどうしようかと思ったのだけれど、悶々と週末を過ごしても仕方がないだろうと思い、出かけることを決心。花見シーズンのためかカプセルホテルしか予約出来ていなかったのに、昨日の夜中にキャンセルが出たところを無事にゲット出来た事も追い風となった。というわけで、東京駅10時ちょうど発ののぞみ221号に乗り込み一路京都へ。予想どおり車内はぎっしり満席・・・。それでもまずまず快適な旅だ。12時20分ごろ京都駅に到着。歩いて五条まで行き、「蕎麦の実 よしむら」で昼食。時間が時間だから店内はけっこう混んでいて、ちょっと待ってからカウンターへ通される。ビールをグイっと飲みながら、「そばづくし膳」を食べる。なかなかに美味しい。それからブラブラと歩いて北上し、二条城へと向かう。桜の花が満開!ってな風景を期待していたのだけれど、残念ながら七分咲き・・・。それでもそれなりに1時間ほど満喫して、今夜泊まるホテル「東横イン京都四条烏丸」へ。16時過ぎにチェックイン。初めて泊まるホテルだけど、なかなかイイ感じのところだ。しばらく休憩してから、今夜のライブが行われる磔磔へと向かう。ライブは18時30分過ぎから20時半まで。そのあと、京都いきつけの店「ぽんと」へ行ってみる。花見シーズンで混んでいるかな?と思ったけれど、なんとかカウンターに席を見つける。昨年末に聞いていたとおり、店内は改装されて二階席まで出来ていた。それでもお店のお母さんと娘さんは、変わらずに気さくに迎えてくれた。料理のメニューは変わらないけど、日本酒の銘柄はちょっと変わっていたな。閉店時間の23時まで粘って、名残惜しいけど店をあとにした。外に出ると木屋町の桜がキレイだったので、しばらく夜桜見物をしゃれこむ。歩いているうちに小腹が空いたので、「河道屋銀華」でにしんそばを食べる。そして24時過ぎにホテルへ戻り、しばらく飲みなおしてから就寝。

8日は、7時ごろ目が覚める。旅に出ると意味もなく早起きになるな。今日はどうやって過ごそうか?といろいろ思案するが、なかなか結論が出ない。とりあえず、8時50分ごろホテルをチェックアウト。桜を見ながら木屋町をブラブラ。夜に見る桜とはまた違ったキレイさがある。まだ満開とは言えないけど、それでもけっこうキレイに咲き誇っていた。そのまま三条まで行き、京阪本線に乗って出町柳駅へ。哲学の道で桜を見ようと思い、蹴上駅から行くつもりだったのだけれど、乗る電車を間違えてしまったので、そのまま銀閣寺のほうから行くことにした。出町柳駅からバスで銀閣寺道まで行き、ブラブラ歩いて哲学の道へ。さすがにみんな考えることは同じみたいで、桜目当ての人々でものすごい混雑。桜の花もまだ七分咲きという状態で、ちょっと残念な感じだったかな。禅林寺に立ち寄って、しばらく散策。ここはそれほど混んでいなくて、のんびり出来た。南禅寺をちょっと覘いてから蹴上駅へ向かって歩いていると、トンネルの上に桜の樹々。なんでもここは「蹴上インクライン」というそうで、線路を囲んで桜が生えているという絶景。こちらはもうけっこう咲いていて、なかなかゴキゲンな花見となった。既に13時半を過ぎ、お腹が空いたので、三条の「がんこ」へ行ってみる。ここもまた混んでいてしばらく待たされたけど、どうにかカウンターに落ち着く。ビールと日本酒をチビチビやりながら、生しらす小鉢とふぐ唐揚げを手始めに、サーモン、とり貝、うなぎ、はまち、ゆば、やりいか、〆さば、中とろ、ふぐ、下足、そして漬物盛り合わせを食べる。ぷはぁーっ!大満足!!

このあとどうしようか?と鴨川のほとりでしばし悩む。今夜も金子マリのライブがあるので観に行きたいけど、それを観てたら家に帰るのは深夜0時過ぎ・・・。さすがにそれはキツいかなぁ~と思い、そのまま桜を見ながら歩いて京都駅へ。気がつくと既に17時を過ぎていて、ライブの開場時間もとっくに過ぎている。そんな状況がさらに後ろ髪を引くわけだけど、なんとか意を決して帰りの新幹線を予約。とっても混んでいたけど、17時26分京都発ののぞみ246号に乗って東京へ戻る。直前まで行くかどうかとっても迷ったけど、いい気分転換になって良かった。やっぱり部屋に閉じこもってばかりじゃダメだな。人間、旅に出ないと。。。
2012年12月29日(土)~31日(月)、年末恒例の麗蘭・京都磔磔ライブへ。29日は、東京駅10時20分発ののぞみ223号に乗って、京都駅に到着したのは12時半過ぎ。天気は快晴。思ったより寒くなく、年末のこの時期としてはむしろ暖かいぐらいだ。お腹がすいたのでとりあえず昼食、七条で「丸福」という蕎麦屋を見つけて入ってみる。つけ麺とおにぎりのセットを注文。つけ麺と言っても、実際はせいろ蕎麦。ちょっと甘めのつけ汁が旨い。おかかのおにぎりも懐かしい感じで美味しかった。13時半ごろ店をあとにして、ブラブラと歩いて東山二条へ。蕎麦屋で見たタウン誌に載っていた中古盤屋へ行ってみることにしたのだ。途中で「ロマン商店」という中古盤屋に寄ってから、お目当ての「太陽」へ。レコードばかりが置かれていて、かなりこだわった感じがなんとも言えずイイ。それから三条あたりをブラブラして、16時過ぎに京都の定宿「京都セントラル・イン」にチェックイン。しばらく休んだあと、17時半ごろ磔磔へと向かう。ライブは18時30分過ぎから21時過ぎまで。ライブ終了後、京都の行きつけの店「ぽんと」へ。前回来たのは今年の4月だから、ずいぶんと久しぶりの来店。だけどお店の人は、あいかわらずの笑顔で迎えてくれた。意外と空いていたので、カウンターでしっぽりと飲み食いする。女将さんに「今年一年どうでしたか?」と訊かれ、しばし考えてしまう。仕事のことやプライベートなこと、一年間いろいろなことがあったけど、元気でこうして好きな人に再会出来ているから幸せなのかなぁ~なんて思ったりした。途中、火の用心の巡視犬“ココちゃん”がやって来て、愛嬌を振り撒いて行った。23時に閉店ということで、おひらきにしてホテルへと戻る。テレビを観ながら飲みなおしをして、いつの間にか就寝。

30日は、8時に起床。窓の外はけっこうな雨・・・。今日一日をどのように過ごそうかとしばらく思案。雨は降っているけれど、以前から行きそびれていた詩仙堂へ行ってみようと決意。10時ごろホテルを出発し、祇園四条から電車に乗って一乗寺駅へと移動。そこから坂道をしばらく歩いていくと、詩仙堂に到着。思ったより人が多く来ていたけれど、ひっそりとした感じでなかなかイイ雰囲気。雨の降る様子をぼんやりと眺めているのも、けっこう乙なものですな。それから隣の八大神社へ。宮本武蔵ゆかりの神社ということらしい。続いて少し歩いて圓光寺へ。こちらもけっこう寂れた雰囲気が落ち着く。そんなことをしているうちに12時をまわったので、電車で三条京阪へと戻る。そして以前から気になっていた「みや古」という店で、にしんそばを食べる。それから祇園の街や八坂神社を散策して、15時過ぎにひとまずホテルに戻る。しばらく休んだあと、16時半ごろ磔磔へと向かう。ライブは17時30分過ぎから20時15分ごろまで。ライブ終了後、三条の「がんこ本店」へ。しばらく待たされたあと、カウンター席で刺身と寿司をつまみながら飲む。年末だからかかなりの混みようで、ちょっといまいちな感じだったかな。それでもそれなりに満喫して、22時半ごろおひらきにしてホテルへ戻る。テレビを観ながら飲みなおしをして、いつの間にか就寝。

31日は、7時に起床。昨日とはうって変ってイイ天気。絶好の散策日和ではあるけれど、もう帰らなければならない。8時ごろホテルをチェックアウトして、ブラブラ歩いて京都駅へ。8時40分ぐらいに京都駅に到着し、9時12分発ののぞみ314号に乗って帰る。12時過ぎには自宅へ到着。お疲れさまでした~自分。
2013年12月28日(土)~31日(火)、年末恒例の麗蘭・京都磔磔ライブへ。28日、目が覚めると既に10時。若干焦りながら旅の支度を整えて、11時半ごろどうにか出発。12時23分発ののぞみ349号に乗り込み、2時間ちょっとで京都駅に到着。やってきました約束の地、まずはいつものように京都タワーをカメラに収める。それから四条に向けて、ブラブラと歩いていく。年末の京都、それだけで風情がある。15時40分ごろ、いつもの宿「京都セントラル・イン」にチェックインして、しばし休憩。16時半ごろ磔磔に向けて出発。と思ったら、みぞれ交じりの雨・・・

また、医師からは「手首のじん帯が100%完全に切れている状態」と診断され手術を勧められているがショーを強行した。 ..

年にトライアスロンデビューから,自然とロング志向に傾き年には佐渡で
初ロングを完走し,年には,でデビューを果
たした.翌年琵琶湖でのを獲得したものの,では完膚なきまでに叩きのめされた.
歳のカテゴリーで位人というリザルトは記憶から消えることはない.
世界標準を思い知らされ,に挑戦しようという意欲すら奪われたのである.そ
の後,年の充電期間の後に,に再び挑戦しようという気持ちなった.
年を最後に琵琶湖は幕を閉じたが,年からは長崎五島で新たなが始まっていて,の再挑戦は長崎五島の地であった.幸運にも
年から年までは,長崎五島でを獲得することができた.

年,口蹄疫の影響でが中止になり,再び日本からが消
えてしまい,この年,代替予選としてあてがわれた大会でのを獲
得した.翌年,として選んだもまた,大会直前に中止と
なり,この年もまた,代替えで参加したでを獲得できた.この年,なんと
かで大会開催されたが,年はとうとうアジアから(フルディスタンス)
が消えてしまった.この状況を見越して,年月の,年月のにチャレンジしていたが,いずれも
失敗してしまっていた.


毎週のように家族サービスを放棄してトレーニングにあて,その代替えとしてハワイ
旅行を家族と約束していたが,が取れないとその約束を守れないことになる.
の後,今年の出場を諦めかけていた時,妻が「が
まだ申込みできる」と調べてきてくれた.度締め切ったが,追加募集をしていた.
迷うことなくエントリーした.最後のチャンスを与えてくれた,妻に感謝し,なにがなん
でも取ってくることを決意した.
他の選手の実力が分からない海外の試合と違って,日本での開催となれば,力の
知れたメンバーも多い.月初旬のケアンズでできなかった,の常連
である.さんもスタートリストに名を連ね,彼が最大のライバルになると覚悟した.


梅雨時期のレースは,天候が心配であるが,雨の心配はなさそうである.ウェットな
路面は落車の危険があり勘弁願いたい.バトルを避けるためか,ドラフティングを避
けるためか,スタートのウェーブがかなり細かく分けられていた.我々歳は,
第ウェーブで先頭からは分後だ.同行した筑波大学の大学院生は,分前に
スタートすることになり,この距離だと間違ってもレースで遭遇しないと思った.

スイムは,ワンウェイのコースでから約位歩いてスタート地点に向かった.
ウェーブスタート故,かなり待たされたが,第ウェーブの入水が許可されると私は番に入水しスタート場所を確保した.予想通り,さんも最前列に並び,互いの健闘
を誓った.
号砲と共にスタートするが,歳の名程度では心配したバトルはなかった.
さんが快調に飛ばすが,こちらも後ろから無理なくついていく.しばらくすると,さ
んのペースが落ち,私が前にでた.ランの走力が勝るさんから,ランスタート時点
で少なくても分,いや分のアドバンテージが欲しい.スイムで分でも差をつけ
られれば御の字だ.目標の黄色いブイを目指して泳いでいると,さんが視界から
遠ざかっていくのが分かった.「コースミスをしているよ」と教えたかったが,泳いでい
る最中なのでかなわない.
分前にスタートした歳カテゴリーの後方集団に追いついたころから,さん
を見失ってしまった.結構な差をつけたかなと思いながら,上陸しエリアにはいっ
て行くと,なんとさんは前にいた.コースミスをしていたのは自分の方だったと気づ
いた.

ランが速いさんはトランジットエリア内も速い.素早くウェットスーツを脱ぎ,全力で
内を走って,なんとかさんより前で乗車することができた.バイクで大きな差を
つけたい私と,私との差が大きくなければよいさんの意地の張り合いが始まった(
少なくとも私はそう思っていた).狭く粗い漁港道路も,直角カーブも,上りも飛ばし
たが,なかなか離れない.半ば諦めていたころの地点位の折り返しで少し離
れているのが分かった.このまま順調にバイクフィニッシュまでトップで行けばよいと
思った.しかしこれが油断の始まりだった.バイク中は,

前にスタートしたグループを抜いていくだけだったので,後ろから抜かれた時に「あ
れっ」と思った.さんとウェアに書いてあったが,ゼッケンの色はグリーンだ.目を
疑ったが,自分のゼッケンもグリーンだ.同じエイジに(知らない人の中にも)速い人
もいるものだと感心しながら,食らいついた.しばらくして,更に勢いのある輩が抜い
ていった.後でさんと知った.加えて,メルボルンでできなかったさんも追
いついてきた.この時点で,今回のバイクも(もバイクが遅く,今年
のレースはバイクタイムがいつも悪かった)かなり乗れていないと確信し,焦った.

への切符は枠と予想していたので,ランには追い上げてくるだろうさんの
走力を勘案すると,前の全員をランで抜いておかなければならない.結局,さんは
途中で失速したようで,さん,さん,私の順でバイクゴールした.ランスタート直
後,気持ちを焦らせながらさらに下りで加速し,ペースが上がった.分を切る
ペースに自重を促しつつも,このペースなら後続もそう簡単には追いついてこない
と思った.すぐにさんを捉えた.走り始めてすぐの最初の折り返しで,さんを見つ
けた.分位は離れているようだった.ランの実力が知れないだけに不気味に感じ
た.後ろから,さん,さんと続き,少なくてもこの上位位の間に大きな差はない.
さんの姿は見つけられなかった.このまま坦々と距離が過ぎればよいがそうはい
かない.付近の歩道橋を渡る時に足が攣りそうになった.攣ったら勝負が決ま
ってしまうので,何とか誤魔化しながら,階段を下りた.

最近のウォッチは走りながら速度が分かるからペース管理しやすい.私が使用するのストライドセンサーは,ストライド長もデータとして残る.を分
秒前後のペースを確認しながら走り続ける.前のさんも見えなければ,後ろか
らさんも来ない.この年間,さんにももランで逆転されていたので,
ゴールするまで気が抜けない.距離が進むほどに疲労も蓄積してきて,ペースが落
ちていくのが分かる.

の折り返しに差し掛かった時にすぐ目の前にさんの姿を捉えた.自分も折り
返した時に,すぐ後ろにさんを発見し目を疑った.ランの序盤に抜かしたはずであ
ったのに追いついてきた,いや私がペースダウンしているのか,疲労はピークに達
していた.その後ろにはさん,さんは見えない.それにしても目の前のさんに
なかなか追いつかない.ストライドが短くなりペースが落ちている.過ぎでや
っと追い抜き,「頑張りましょう」と声を掛けたが,さんが迫ってきそうだ.残り
くらい何とでもなりそうだが,もう余力がなかった.手前位でさんに抜かれる
が,まったく反応できない.歩くようなスピードに落ちていくのが分かる.抜いたはず
のさん,はたまたさん,さんにゴール手前でさされるか.に何としても行
きたいという思いだけで,気力を振り絞った.エイジ位でゴールした.優勝していれ
ばのは文句ないが,使命は果たしたかなと安堵した.


歳はのスロットが枠あったようで,位のさんは初だそうだ.
同じエイジの常連のさん,さんが落ち,初を狙っていたさんも落ちた.
うちの子供と年齢が近く,家族での行を楽しみにしていた歳の君,君も獲れなかった.残りの次第だが,寂しいかぎりだ.やはり,フルディ
スタンスのの日本での開催を望むところである.


:ウェットスーツ;シロモト,ゴーグル;アクアシェア・ケイマン
:フレーム;スコット・プラズマ,ブルホーンバー;,バー;プロファイル・
コブラ,パッド:,サドル:・,コンポーネント;シマノデュラエース,
ホイール;マビックコスミック,タイヤ:マビック,サイクルコンピュータ:・
パワーメーター:
:シューズ;ニュートン
ハートレイトモニター:ポラール
サプリメント:アミノフィール



百年の古都"蔵」があるのだ。ライブは17時30分から20時30分過ぎまで。ライブ終了後は、いつものように「あんじ」で打ち上げ。いつも通りいろいろな話をしながら、楽しく呑み喰いする。素敵な時間。流れ解散のような感じで徐々に人が減って行き、閉店時間の2時におひらき。シメに木屋町の「G麺」でカレーうどんを食べて、3時近くにホテルへ戻る。

14日、7時に起床。今日もまた、意味もなく早起きな旅の朝。テレビを観ながらのんびりと支度して、11時前にチェックアウト。そしてそのまま「常盤」へ直行。先週と同様、にしんざるを食べる。それから地下鉄に乗って京都駅へ。12時35分の新幹線に乗って帰京。
2017年7月1日(土)~3日(月)、今週末は京都へ。今回も目的はライブだけど、せっかくなので前乗り。東京駅14時発の新幹線に乗って、京都駅へ着いたのは16時15分過ぎ。さすがに暑い・・・電車を降りた途端、ムッとした空気に包まれる。そんな中をブラブラと歩いて四条方面へ。いつものように仏光寺へ寄り道。陽が傾きかけてきたので、ちょっとだけ涼しくなった。30分以上ぼんやりと過ごす。18時ごろ、今夜泊まる「コープ・イン・京都」にチェックイン。ここは何度か泊まっているホテル。可も無く不可も無く、ちょうどいい感じ。しばらく休んだあと、久しぶりに行きつけの先斗町「ぽんと」へ。京都のお母ちゃん、元気そうで何より。相変わらず、話はとっ散らかってるけど。お土産に「東京ばなな」を渡したら、ものすごく喜んでくれた。この店は最初来た時は大将が切り盛りしてたけど、引退されて今は女将さんがやっている。他はバイトのお兄ちゃんという感じだったのに、今日は女子が三人もいてビックリ。みんな大学生なんだと・・・「お土産ありがとうございます!」って、なんて礼儀正しいの。塩せんべいをおまけしてもらい、閉店時間のため22時過ぎにおひらき。先斗町の夜は早い。お母ちゃんとまた会えることを楽しみに店を出る。京都って、むこうの世界に一番近いんだと思う。だから独特のエモーショナルな感情に突き動かされる。そこで出会う人達は、みんなそれを知ってる。だからみんな素敵なんだ。そんなことを思いながら、鴨川のほとりでぼんやり。気がついたら1時間以上経っていた。京都のシメは、何故だかカレーうどんが食べたくなる。「美よし」は既に終わっていたので、「錦」でビールとカレーうどん。1時前にはホテルへと戻る。

2日、例によって、意味も無く早起きな旅の朝。6時半には起きて、テレビを観ながらウダウダと支度する。11時前にチェックアウトして、寺町へお蕎麦を食べに行く。今日は行きつけの「常盤」でなく、「田毎」へ行ってみる。創業明治元年の店。「常盤」ほど年月を感じさせないけど、なかなか味のある店内。「みそぎそば」なるものとビールを注文。蕎麦はツルっとして美味しい。今日のライブは、開場14時・開演15時。場所取りにこだわらず全てを楽しむつもりだから、急いで行く必要はないけど、早目に行って雰囲気を楽しみたいという気持ちもある。時間はあと二時間ちょっとあるけど、ホテルで荷物を預けてから向かう事にする。めちゃめちゃ暑いので歩くのは断念して、地下鉄に乗って京都駅へ。今夜泊まる「ホテルエクセレンス」に荷物を預け、隣の「AEON」でしばらくクールダウン。京都駅前から13時半過ぎのバスに乗り込み、百万遍へと向かう。京都のバスはあいかわらず混んでいる。おまけにだんだん雲行きが怪しくなってきた。百万遍のバス停に着くころには突然の雷雨。仕方がないので、しばらくバス停に待機。タクシーでやって来た人に西部講堂の場所を尋ねられ、その人の傘に入れて頂きようやく会場へ。憧れの地、西部講堂。「HOT HOT GUMBO」から25年の時を経て、ついにやって来た。14時20分過ぎに会場入り。ブルーのフロアは斜面になっていて、どこからでも観やすい感じ。みんな勝手に座ったりしているので、私も椅子を拝借してフロア中ほどのステージ上手に陣取る。ライブは15時過ぎから20時05分過ぎまで。ライブ終了後は、友達と一緒に打ち上げ。タクシーに相乗りして京都駅まで行き、駅前の「京都 花の舞」で呑み喰いする。めちゃめちゃ汗かいたから、ビールが旨いのなんの! もう~たまらない。料理もなかなか美味しくて、最高の打ち上げとなった。気がつけば日曜日。みんなは大阪に帰るので23時ごろおひらき。ひとりで二次会しようかと思ったけど、明日の朝は早いのでおとなしくホテルに戻る。

3日、5時半に起床。さすがに眠いけど、今日は仕事なので頑張って支度する。6時半過ぎにチェックアウトして、7時前の新幹線に乗って東京へ向かう。快適な新幹線通勤、なんだかんだしているうちに東京駅に到着。今日は特に混乱はなく、予定通り10時に出社。
2017年8月11日(金)~12日(土)、三連休を利用して京都~名古屋を股に掛けたライブ遠征を企画。世間的にはお盆の入りという事もあり、新幹線が軒並み満席でかなり焦ったけど、マメに空席確認して予約することが出来たので、12時30分発ののぞみに乗っていざ出発。14時41分、京都駅に到着。東京は涼しかったのに、京都はものすごいムシ暑さ。いつもなら四条までブラブラと歩くところだけど、今日のところは地下鉄で移動。「Joe's Garage」で中古盤を漁って、15時半過ぎに今夜泊まる「コープ・イン・京都」へチェックイン。今夜のライブの開場時間までは少し余裕があるので、部屋にしばらくこもってクールダウン。16時半過ぎに再び出かける。今夜は磔磔へ、「三宅伸治 真夏の夢 どっぷりと3days」を観に行く。今日から三日間行われる3daysの一日目、今宵は鮎川 誠と友部正人を迎えてのステージ。ライブは18時05分過ぎから20時45分過ぎまで。ライブ終了後は、いつものように打ち上げ。美味しい料理を食べながら、美味しいお酒を呑む。ホントに楽しくてたまらない。2時前におひらきになったものの、珍しく二次会に突入。行ったはいいけどさすがに眠くなってしまい、4時前にはおひらき。

12日、8時ごろ起床。さすがに眠い・・・。テレビを観ながらのんびりと支度して、11時にチェックアウト。すき焼きを食べるか蕎麦を食べるか悩んだ挙句、「更科」という店できしめんを食べる。この店も創業140年・・・そんな事で喜んでいるのは東京モンぐらいなのかな? 食事をしたあと少し街を散策したけど、あまりにも暑いので早々に断念。地下鉄で四条駅から京都駅まで行き、13時55分発の新幹線で名古屋へと移動。
2017年12月28日(木)~31日(日)、年末恒例の京都へ。振り返ってみると、年末の京都へは2003年から来ているらしい。自分にとっては、「これが無いと年が越せない」ぐらいの位置づけになっている。年末の帰省ラッシュが始まり、多くの人でごった返す東京駅を12時ちょうどに出発。エクスプレスカードのポイントがたまったので、小市民だけどグリーン車に乗り込む。さすがに空いていて快適。弁当を食べたり、ファンクラブの会報を読んだりして過ごす。14時17分に京都駅に到着。まずは新装された京都タワーの地下街を探検。それからブラブラと歩いて、四条方面へと向かう。思ったほど寒くない。お気に入りの佛光寺でしばし休憩。ここに来ると、京都へ来た感じがする。15時半ごろ、今夜泊まる「京都セントラル・イン」へチェックイン。ココもまた定番。16時50分、再び出かける。今夜は磔磔へ、麗蘭「磔磔 Vol.25 「Come on!


さん、森口さん、八尾さんに付き合っていただいてい ました。スピードも、まさに ..

;;

★Seijiさん&inahoさん
すんまそん。「花の記憶」は訳詞に影響されてつけられた題名だと
思うので、それだけでは原曲は特定できなかった様でした。

朝倉氏にお願いして、訳詞を頂けるかどうか頼んでみます。
皆さんかなり知りたがっている様なので、、。
でもCD発売より先に、歌詞をネットで出すとか言ったら
怒られそうだな~、ん~。ジャスラックの問題もあるし~
ということでCD買ってください(爆)
ではでは


さんが生徒に甘いのは、教師じゃないからだ、というのが定説だが、高志は、あの人 ..

;) 73年かもしれません
[よねだ]:大阪厚生年金
[美志えるう]:さすが博士、すぐに解答が
[よねだ]:中学X年のときだな
[RIKASUKE]:あ、厚生年金かー!
[よねだ]:すごい73年経験者だ。コンサートパンフレットは赤色でしたか?
[RIKASUKE]:パンフの色……すっかり忘れました。最初で最後の、外タレコンサート経験だったのにーパンフのこととか、すっかりわすれてます。
[よねだ]:その後、なんでコンサートに行かなかったのですか? 最後にきた79年とか・・・
[RIKASUKE]:出不精だったからです。
[よねだ]:これから忙しくなりますよ。ビデオもたくさん見なくてはならない。







☆kazuさん私も「コブラ」見てました。ちょっと記憶が曖昧だけど。 腕が ..

;)
[Seiji]:ん?どこで聴いたのですか?
[RIKASUKE]:友達に借りました
[バブル]:その友達はMPMを知ってるので?
[美志えるう]:やってきなさい!>りかすけ友達
[美志えるう]:最近新人が増えてうれしい
[よねだ]:PCの普及の度合いに比例して今後も増えるでしょう

*すごい世界*

[RIKASUKE]:なんかサングラスないと落ち着きませんね、この部屋。
[Seiji]:オフ会くると本物がかけれるよ
[RIKASUKE]:本物??みなさんサングラス持参でオフにいくのですか?
[美志えるう]:パリのポル御用達の店で作ったメガネをお持ちの方が多数います
[RIKASUKE]:ああ…ほんとにスゴイ世界なんですね
[Seiji]:よねだ博士は直接フランスのお店と交渉なさった大使です。ミシェルのそっくりさんというか、超えた人にもあえます
[RIKASUKE]:超えた人……なんかすごそう(笑)
[Seiji]:いやハートのネックレスがもらえる。希望によってはキスも、彼から
[RIKASUKE]:うーん。そんなにポルナレフのファンがいたとは正直言って、驚きです。さすがインターネットですねえ

*ヨネ博士のポルナレフ時間軸*

[RIKASUKE]:コンサートは一度見ました。母につれていってもらいました
[よねだ]:75年?79年?
[RIKASUKE]:うーん……何年か忘れましたが
[よねだ]:中野サンプラザ?
[RIKASUKE]:いえ、大阪の何とかホールです
[バブル]:フェスティバルホール?
[RIKASUKE]:あ、たぶんフェスティバルだったかもー
[Seiji]:失礼ですが何年生まれで何歳のときですか?
[RIKASUKE]:今XX歳で、中学の時です。中学何年かは忘れました(

さんに片腕がないことも知らなくて。驚いてしまって。その1週間で、戦争の話を ..

今日はひろみちゃんとディナー。スペイン料理が食べたーいってことだったので、大名に新しくできたスペイン料理のお店「goo DAIMYO」へ。わりと早い時間だったし、まだオープンしてからそんなにたっていないので、最初はお客さんいなくて貸し切り!でした。9時過ぎぐらいからはお客さんも入り出したけどね。2人ともちょこちょこ食べながら話しようモードだったので、メニューもぴったりだったな。ほんとはワインとかお酒飲みながらなんだろうけど、2人ともお酒は得意じゃないので、ソフトドリンクのおつまみに。タパス、ピンチョス、エビのオイル煮、木の子のリゾットといろいろ食べたけどおいしかったー。最後にクレームブリュレもおいしかったし、ここけっこういいかも。1人2,000円ちょっとぐらいだったしね。5月5日の麻衣ちゃんの結婚式は行けなくて残念だよね。もータイミングわるすぎだよ。社会人はつらいね。。。一緒に京都散策できなくなっちゃったけど、ひろみちゃんの分もしっかりお祝いしてくるねー。

さらには二足歩行ができるほか、両津との殴り合いの喧嘩では、コブラツイストを ..

Hamuhei wrote:
> 朝倉先生の訳詞について、ポルナレフが日本語が理解できる人なので
って何なの?
一体何なの??
見てたらなんかおっしゃて!>ポル

---取り乱して申し訳ありません。
ハムヘイさま、朝倉センセーと彼のやりとりについて、何でも結構です。お話賜れませんか?

野口さま、なんとお礼を申し上げていいやら。暑い日が続きますが、お身体大切に。貴殿の行く路に幸多かれ!