No.127 昭和58年11月、ザ・コブラ日本デビュー戦の真実 ..
「この事件も、ザ・コブラvsザ・バンピートがなければ......すべてはバンピートが覆面を脱いだことから始まり、そこからの異様な出来事の連続が時空を歪ませてしまったから起きたんちゃうかと思ってます。まさに日本を変えた試合です(笑)」
星来芽依じゃないけどザ・コブラのデビュー戦が失敗する5秒前 。 この直後、デイビーボーイスミスがコブラのダイヴをアッサリ避けます。
――1987年1月23日に熊本・水俣市の旅館で起きた伝説の事件ですね。新日本プロレスとUWF勢の懇親会のはずが、途中からお互いの選手が入り乱れて乱闘に発展。旅館が破損した事件として語り継がれています。
――コブラは1986年6月まで新日本のリングに上がっていましたが、その直後の7月シリーズから突如、マスクを脱いで「ジョージ高野」として参戦することになります。
ジョージ高野は大相撲廃業後、1976年に新日本プロレスに入門、1977年に佐山聡相手にデビュー ..
あとは、マスクの額にあった『忍』という文字も印象的でしたね。コスチュームは正統派のメキシカンのいで立ちで、ビッグマッチになったら見栄えはよかった。テレビマッチでもヒロ斎藤さんに連戦連勝していたし試合もよかったはずですが......『ブレイクした』とは言えませんでした。うまくいかなかった理由はいろいろあると思いますけど、やはり日本でのデビュー戦がすべてだったんでしょう」
「身体能力では、日本のプロレス史上、もっとも高かったレスラーだと個人的には思ってます。ドロップキックの高さでいえばジャンボ鶴田さんも『すごい』と言われてますし、その映像も何回も見ましたけど、コブラは毎週、そのぐらいの高さを飛んでいましたからね。
マスクコレクション謎のアストロノーツ悲劇のマスクマンザ・コブラ銀ラメ黒エナメル革縁目 銀縁額 忍日本デビュー戦と思いきや違った。
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不運すぎるマスクマン!ザ・コブラ、運命を分けたデビュー戦! ..
――とてつもない"問題マッチ"だったんですね。ケンコバさんはザ・コブラについて、どんな印象を持っていましたか?
あの試合がなかったら日本の歴史は違っていて、消費税は導入されてなかったかもしれないし、リニアモーターカーはもう走っているかもしれないし、俺もワールドプロレスリングの解説なんかをやっていたかもしれない(笑)。それくらいの"迷"勝負でした」
アート、音楽、映画、アニメ、和柄。世界中のポップカルチャーが集結。着ることで、あなたの個性を自由に表現できる。それがユニクロのUT。
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――今回の語り継ぎたい名勝負はどの試合でしょうか?
「前回、2代目タイガーマスクについて語りましたから、そうなると同時期のマスクマンであるザ・コブラを話さないわけにはいきませんね」
――ザ・コブラは、新日本プロレスのジョージ高野さんが、海外遠征中の1983年夏にカナダのカルガリーで変身したマスクマンですね。
「そうです。さまざまな試合がありますが、その中でパラレルワールドに入るというか、すべてが歪んでしまった試合があるんですよ」
――どういったことなのか気になりますね。その試合は......。
「ザ・コブラvsザ・バンピートです。俺はこの試合をテレビで見ていたんですが、『これはなんやねん!』という、理解ができない衝撃が色濃く残っています」
――この試合は1983年11月3日に蔵前国技館で、NWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦として行なわれました。コブラは日本のマット初登場の"凱旋マッチ"でしたね。
「この試合は、両者の入場シーンが今でも語り草になっています。まずバンピートが入ってくるんですが、明らかにマスクとタイツのカラーコントラストが悪いんです。
タイツはブルーを基調に赤色の星などを散りばめたデザインなのに、マスクは白ベースに赤いコウモリが描かれていた。『もう少し色味を合わせられなかったのか?』という違和感を覚えざるを得なくて。しかも、上半身が『ホンマにジュニアなんか』というくらいデカかったんで、そこで頭が混乱し始めました」
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――新日本プロレスの公式動画配信サービス『新日本プロレスワールド』は、ザ・バンピートがマスクを脱ぐシーンから、最後にコブラが勝つ結末まで流しています。試合映像が止まったことが事実なら、どうしてそんな放送になったのかが気になりますね。
ザ コブラ デビュー戦仕様(マスク)|売買されたオークション情報
――確かに、事実確認と検証が必要ですね。
「これまで、多くの不穏マッチはプロレスマニアが語り継いできていますけど、この試合はそんなレベルじゃない。何が起こっているのかわからないわけですから。なんなら、あの試合で起きた数々の不思議な出来事がきっかけで、日本全体が違う世界線に入ったんじゃないか、歴史を変えているんじゃないかなと思うくらいですよ。
あの試合がなかったら日本の歴史は違っていて、消費税は導入されてなかったかもしれないし、リニアモーターカーはもう走っているかもしれないし、俺もワールドプロレスリングの解説なんかをやっていたかもしれない(笑)。それくらいの"迷"勝負でした」
――とてつもない"問題マッチ"だったんですね。ケンコバさんはザ・コブラについて、どんな印象を持っていましたか?
「身体能力では、日本のプロレス史上、もっとも高かったレスラーだと個人的には思ってます。ドロップキックの高さでいえばジャンボ鶴田さんも『すごい』と言われてますし、その映像も何回も見ましたけど、コブラは毎週、そのぐらいの高さを飛んでいましたからね。
あとは、マスクの額にあった『忍』という文字も印象的でしたね。コスチュームは正統派のメキシカンのいで立ちで、ビッグマッチになったら見栄えはよかった。テレビマッチでもヒロ斎藤さんに連戦連勝していたし試合もよかったはずですが......『ブレイクした』とは言えませんでした。うまくいかなかった理由はいろいろあると思いますけど、やはり日本でのデビュー戦がすべてだったんでしょう」
――コブラは1986年6月まで新日本のリングに上がっていましたが、その直後の7月シリーズから突如、マスクを脱いで「ジョージ高野」として参戦することになります。
「そうですね。ちなみに、ある関係者から聞いた話なんですけど、あの『熊本旅館破壊事件』の決定打は、高野さんだったそうなんです」
『有田と週刊プロレスと シーズン2』予告動画 No.017 ..
入場から異様なシーンが続いたザ・コブラ(ジョージ高野)vsザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)に、少年時代のケンドーコバヤシさんの頭は大混乱。しかし、試合中にもまったくの予想外の出来事が起こる。このプロレス史に残る迷勝負に、ケンコバさんはある仮説を立てた。
デビュー戦でデイビーボーイ・スミスの大暴走で水を差されてしまい ..
ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(6)後編(前編:ザ・コブラの異様すぎる凱旋マッチに「今、俺は何を見ているんだ?」>>) 入場から異様なシーンが続いたザ・コブラ(ジョージ高野)vsザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)に、…
1981年(昭和56年)4月23日にダイナマイト・キッドを相手にデビューした ..
金ラメ(二重生地)、黒人工皮革、金本革縁
KONDOU製(KONDOU&FSRタグ付)
「40th Anniversary」のプリント付
日本デビュー戦モデル
サイン入り
着用写真、本人手書きの証明書付
※2023,11/3 闘道館でのトークイベントの際に限定5枚で販売された物
コブラMSGタイプ試合用マスク青、金ラメツートン額に赤蛇縁どり 本 ..
「俺もABC朝日放送の関係者に聞いてみようかなと思ってます。とにかく、その時の記憶が本当なのかを解明したいんです。本当は最後まで放送されていたのに、混乱していた俺が『週刊プロレス』や『週刊ゴング』などで見た試合の写真のほうを覚えていて、フォトムービーで終わったという記憶にすり替わっている可能性もありますから」