数2☆ チョコエッグ 戦闘機 アメリカ編 ☆ No.117 P-39 エアコブラ ☆
8. 1942年9月9日、ムルマンスク地方において、エフィム・クリヴォシェエフ親衛中尉がエアラコブラに乗って史上初めて空中で体当たりを行った。弾を撃ち尽くした彼は、自分の指揮官パーヴェル・クタホフの飛行機にメッサーシュミットが追尾しているのを見た。彼は躊躇なく敵戦闘機に突っ込み、自分の命を犠牲にして仲間を救った。
第二次世界大戦傑作機 No.46 アメリカ陸軍戦闘機 ベルP-39 エアコブラ
7. エアラコブラは、北極圏からコーカサス地方まで、独ソ戦のあらゆる戦線で戦った。1943年4月~6月のクバン上空での航空戦でソビエト空軍はドイツ空軍に対して初めて大勝利を収めたが、これにはP-39が大きく貢献した。なお、この戦闘では両軍から2000機以上の飛行機が参加した。
アレクサンドル・ポクルィシキン(ヘルメットをかぶる方)を祝う同僚たち、第16戦闘機航空連隊、1944年の夏。
フルタ チョコエッグ 戦闘機 アメリカ編 P-39 エアコブラ : おもちゃ
4. ただ、P-39に搭載された4丁のブローニング7.7 mm機関銃に対する評価は控えめだった。この銃では敵機に損傷を与えるだけで撃ち落とせないことがあったからだ。たいてい機械工らは、戦闘機の重量を減らして機動力を高めるため、4丁のうち2丁を取り除いてしまうのだった。
3. ソ連のパイロットはP-39の37 mm機関砲(初期のモデルでは20 mm)を高く評価していた。「弾薬は非常に強力だ。ふつう、敵機に一発当たればそれでおしまいだ」とパイロットのニコライ・ゴロドニコフは。「しかも、標的は戦闘機だけではなかった。爆撃機や船舶に対しても、37 mm弾は非常に効果的だった」。
フルタ チョコエッグ 戦闘機シリーズ アメリカ編 117 P-39 エアコブラ
2. ソ連ではP-39は全く逆の扱いを受けた。東部戦線に特徴的だった低・中高度での空中戦では、この戦闘機はかけがえのないものだった。エンジンがコックピットの後ろにあるという特殊な構造により、同機は機動性、速度、空気力学的特徴、視界に優れていた。一方で、安定性と操作性には難点があり、一つミスを犯せば錐揉み降下の状態に陥ってしまった。エアラコブラは初心者には扱えない、熟練パイロット向きの飛行機だった。
9. 扱いが難しいが効果抜群のP-39は、精鋭中の精鋭に与えられ、主に親衛隊の部隊に配備された。アレクサンドル・ポクルィシキン、グリゴリー・レチカロフ、アレクサンドル・クルボフ、ニコライ・グラエフ、ドミトリー・グリンカとボリス・グリンカの兄弟など、ソ連の名だたるエースパイロットがこの米国製戦闘機に乗っていた。ポクルィシキンは、敵機59機を撃墜して連合軍の戦闘機パイロットの中で2番目の成績を誇ったが、うち48機をP-39に乗って仕留めていた。レチカロフも56機中50機をこの戦闘機で撃ち落とした。大戦末期には速度と機動性がより優れた飛行機がソビエト空軍に登場したが、多くのソ連軍パイロットは自分たちを決して裏切らないエアラコブラに乗り続けた。
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P-39戦闘機「エアラコブラ」の前に立ている第101戦闘機航空連隊のパイロットたち
1. 米国人はこの飛行機があまり気に入らなかった。ベルP-39戦闘機「エアラコブラ」は、高い高度で本領を発揮できず、「空飛ぶ要塞」B-17大型爆撃機に同行したり、主に西部戦線でドイツ空軍のエースと戦ったりするのに適さなかった。西側の連合国はエアラコブラを手放すことを厭わず、武器貸与法の一環でこれをソ連に大量供給した。ソ連空軍は合わせて5000機近いP-39を手に入れた。これは製造された全機数の半分以上に当たる。
エアコブラではなくエアラコブラだ。 第二次世界大戦当時、米国の ..
米陸軍では低評価に終わったP39だが、米国で余剰兵器となったP39の貸与を受けたソ連軍では事情が違った。ソ連空軍は地上攻撃を主体としており、ドイツ戦闘機は味方への空爆を阻止しようと低空を飛行するソ連攻撃機を狙った。このため、攻撃機部隊を守る役目のソ連戦闘機の戦闘空域は高度3000メートル以下の低空だった。ソ連に供与されたP39は機銃が一部外された簡易型で、重量が軽い分だけ運動性も高かった。また、低空域では時速600キロを超える高速と大口径機関砲を生かした一撃離脱戦法をとることも可能で、高性能のドイツ戦闘機とも互角に戦うことができた。
P39は合計で9558機が生産されたが、そのうち半数近い4700機以上がソ連に引き渡された。東部戦線での活躍から、P39に対する米陸軍の評価が必ずしも適正でなかったことは明らかで、特長に合わせた使い方をすれば、それなりに能力を発揮できるだけの基本性能はあったことになる。写真はソ連軍機の塗装をしたP39で、戦後に米国内で撮影された(米国防総省提供) 【時事通信社】
▷WarThunder◁ ウォーサンダー RBゆっくり実況 #136 アメリカ戦闘機 P-39N-0
ベル社が1937年に開発を始めたP39は、液冷エンジンを機体中央に配置したミッドシップ形式で、操縦席の下に延長軸を通して機首のプロペラを回すという斬新なスタイルを選択した。ロッキード社のP38と同時期に高高度迎撃戦闘機として開発がスタートし、排気タービンを備えたV1710系列の液冷エンジンを搭載している点も同じだった。エンジンをミッドシップとすることで、機首を細く絞り込んだ空力的に優れたフォルムとしたほか、操縦席前の空いたスペースに25ミリ機関砲(後に37ミリ機関砲に換装)を納めた重武装も特長だった。
ただ、斬新さが災いして試作機の完成が遅れ、その間にP38の開発が進んでしまい、P39は排気タービンを外して中低高度用戦闘機に用途が変更されることになった。40年に完成した中低高度用の試作機は、高度4570メートルで時速603キロの最高速度を記録、上昇力も十分だった。ところが、量産型では防弾装甲と武装を追加したことから重量が増加し、運動性も低下してしまった。ミッドシップ型の機体特性が通常の戦闘機と異なることから、操縦に慣れるまで時間が掛かり、パイロットの評判も悪かった。太平洋戦争が始まると、軽快な日本軍戦闘機にカモにされ、まともな働きができないまま、第一線を退くことになった(米空軍提供) 【時事通信社】
エアコブラは、東部戦線では大活躍でしたね。ソ連の最高勲章である金星勲章 ..
●「P-39Q/N エアコブラ」を1/32スケールで再現したプラスチックモデル組立キット
●<実機解説>
・ 高速化と安定性の両立を目指し設計されたエアコブラは機体中央にエンジンを搭載し、プロペラとエンジンはシャフトで繋ぐと言うユニークな形状をしていました
・ この構造のお陰で機首を円錐状に整形できた事から1939年に初飛行した試作型の最高時速は時速600キロを超える機体となりました
・ しかしその後行なわれた戦術の変更による搭載武装や仕様が目まぐるしく変り、試作当時の俊足は見る影も無くなりました
・ また空中において中高域に上がると性能低下が著しく、太平洋戦線初期には零戦相手に大変な苦戦を強いられました
・ しかし攻撃機としての能力と低空域での性能は申し分なく、これらの性能を上手く活かしたソ連軍は数多くのエースを輩出した程です
・ N型はエンジン装換する事で出力を向上させました
・ これに12.5ミリガンポッドを翼下に装備した武装強化型をQ型と称しました
●<模型解説>
・ 太平洋戦線初期を支えた戦闘機、エアコブラを1/32スケールで再現しました
・ エンジン装換で出力向上を果たしたN型と武装強化型のQ型のどちらかを選んで再現できます
・ 大変ユニークな機体形状を決定付けた胴体中央にあるアリソンエンジンもしっかり再現
・ また同様に内部構造が確認できる機首や主翼のガン用点検扉は開閉選択式となっています