コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めること ..
その後コブラは割れた膝は手術せずにスクワットなどで下半身を強化して1984年に復帰したが、現在も膝は割れたままだという。コブラは「新春黄金シリーズ」に開催された「WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」にエントリー、公式戦では初代タイガーのライバルであるキッド、初代ブラックタイガーを破る殊勲を挙げたが、優勝決定戦はキッド、スミスと三つ巴で争われ、三つ巴戦はスミスがコブラと引き分け、キッドに敗れて脱落し、優勝はコブラとキッドの間で争われたが、キッドがバックドロップホールドでコブラを破り優勝、コブラは初黒星を喫した。
コブラ、期待しちゃうな~ ザ・バンピート(デイビーボーイスミス)戦をぜひ!
対戦相手にいきなり素顔になられようが、驚愕の高さのノータッチトペをかわされ右ひざにアストロ大ダメージを受けようが、なんとも噛み合わない試合をされようが、決着はコブラのフライング-後方宙返り-ラリアット!
そのバネを感じる動きからも分かる抜群の身体能力!
コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めることになったが、コブラはタイガーマスクやマスカラスのマスクを被った若手選手らが担ぐ白煙を噴く神輿に乗って、白いタキシードを身に纏い登場、コーナー昇ったコブラはバク宙を披露するも、すぐさまバンピートがコブラを襲撃、マスクを脱ぐと、ファンはダイナマイト・キッドだと思ってキッドコールを贈ったが、正体はキッドに似ていたスミスで、スミスはコブラはタキシードを脱いでいないコブラを場外へ追いやってボディースラムで叩きつけ、リングに戻ろうとするコブラにロープ越しのブレーンバスター、リフトアップスラムで場外に放り投げるなどコブラを徹底的に痛めつける。 改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きる。試合も期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピール、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。
昭和プロレス生写真◇ザ・バンピート 吸血仮面 /Dスミス ザ・コブラ キッド. ¥999. (税込) 送料込み.
コブラに目を付けた新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退。しかし尊敬する猪木の説得もあって帰国を決意、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけていた。
後年、ジョージによると「(トペ失敗)はそのまま放送して欲しかったですね、そうすればタイガーマスクと比較がわかると思うんですよ、佐山さんが新日本を辞めたばかりで、コブラはその後釜に期待されていたことは知っていたけど、だからこそあの失敗は放送して欲しかった。佐山タイガーは全部成功するキャラクター、でもコブラは成功しないみたいな。再起するキャラクターなんですよ、私はコブラのカラーを出したかったんですよ、コブラはどこが違うかって言ったら猪木さんのファイティングスピリット、決して諦めない気持ちと動きで見せるところです」と語ったとおり、初代タイガーは完成品であるに対し、コブラは未完成、だからこそ何度も敗れて失敗しても、歯を食いしばって立ち上がる闘志を見せるコブラをジョージは見せたかった。しかし新日本やテレビ朝日はタイガーマスクのようなキャラを期待していた。コブラがしくじった理由は本人の望んでいた方向と、新日本やテレビ朝日、またファンとの方向性の違いが原因だったからかもしれない。
コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務める ..
さて、素顔になった途端に猛然とコブラに襲いかかるスミス!
鉄柵にぶつけられ場外ボディスラム、エプロンから投げ入れブレーンバスター、そしてまた場外へリフトホイップされてしまうアストロノーツ!
著者:AJスレンダー
【元祖 #プロレス今日は何の日 since2014 】アメブロで365日分書き溜めております!
キン肉マン、プロレス、ファミコンで育った少年期から早や数十年、
「ほんとにこれで良かったのかな・・・?」と自分の判断に自信がないと相談されたら
「それは選ばれし者の恍惚と不安だよ!ごちゃごちゃ言わんと迷わず行けよ!行けばわかるさ!」と
新旧格闘王mixでお応えします!
ザ・コブラvsザ・バンピートの放送がいきなりストップ。プロレス史に残る迷勝負は、ケンコバ曰く「時空を歪ませた」
改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きていた。そして肝心の試合となると期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピールしたため、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。
それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペスイシーダを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷、この時にコブラは膝の半月板が割れたという。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻ってスミスはミサイルキックを狙うと、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗してしまう。しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠けるだけでなく技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。
それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷してしまう。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻るとスミスはミサイルキックをを狙うが、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗、しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠け、技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。
No.127 昭和58年11月、ザ・コブラ日本デビュー戦の真実
対戦相手として用意されたのは、謎のマスクマン「ザ・バンピート」。しかし、リングに上がるや否や白地のザ・バンピートマスクを脱ぎ捨てて素顔を顕に!その正体はデイビーボーイ・スミスだったのですが、このとき初来日だったスミスは日本のファンには知られておらず、当時のファンは『なんで急に脱いじゃった???』
タイガーマスクの後継たるコブラのデビュー戦がダイナマイト・キッドの従兄弟であるスミスとの対戦というのは実に趣深いカードではあったのですが…。
昭和プロレス生写真◇ザ・バンピート 吸血仮面 /Dスミス ザ・コブラ
この頃新日本プロレスは後のジャパンプロレス旗揚げに繋がる長州力一派によるクーデターに揺れており、その動乱のさなかに初代タイガーマスクがキャリア絶頂の中で衝撃の引退!
新たなスターを誕生させようと新日本プロレスが満を持して送り出したのが、ジョージ高野の新たな姿“ザ・コブラ”だったのです。
今の時代のシステマチックなプロレスなら絶対トップレスラーになれたと思います!!!
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(6)後編
(前編:ザ・コブラの異様すぎる凱旋マッチに「今、俺は何を見ているんだ?」>>)
入場から異様なシーンが続いたザ・コブラ(ジョージ高野)vsザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)に、少年時代のケンドーコバヤシさんの頭は大混乱。しかし、試合中にもまったくの予想外の出来事が起こる。このプロレス史に残る迷勝負に、ケンコバさんはある仮説を立てた。
身体能力も華もあったザ・コブラ(右)。それでもブレイクできなかった理由は・・・
***
――異様な展開の連続だったザ・コブラvsザ・バンピートですが、試合中にさらなるあり得ないことが起きたそうですね。
「当時、俺はこの試合を大阪の自宅で見ていたので、映像はテレビ朝日系列のABC朝日放送で流れていたんですが......その試合映像が途中で止まったんです。試合がストップして、コブラのテーマ曲が流れて、フォトムービーみたいに試合の模様が写真で紹介されました。あの有名なCMのように、小田和正さんの『時をこ~えて』という歌声が聞こえてきそうな感じですよ」
――試合の映像が止まって、写真が画面に映ったんですね?
「そうです。ワールドプロレスリングはテレビ朝日のネット中継なので、地方局であるABC朝日が独自に編集することはあり得ないはず。もしかすると、この試合の入場シーンで俺の脳がバグってしまったから、記憶が混濁しているのかもしれない。なので、本当に試合が止まって写真だけになったのか、誰かに調べてほしいんです」
――新日本プロレスの公式動画配信サービス『新日本プロレスワールド』は、ザ・バンピートがマスクを脱ぐシーンから、最後にコブラが勝つ結末まで流しています。試合映像が止まったことが事実なら、どうしてそんな放送になったのかが気になりますね。
「俺もABC朝日放送の関係者に聞いてみようかなと思ってます。とにかく、その時の記憶が本当なのかを解明したいんです。本当は最後まで放送されていたのに、混乱していた俺が『週刊プロレス』や『週刊ゴング』などで見た試合の写真のほうを覚えていて、フォトムービーで終わったという記憶にすり替わっている可能性もありますから」
謎のアストロノーツ ザ・コブラ | 今さら!昭和ノート プロレス
ザ・コブラのデビュー戦の相手として現れたザ・バンピードの入場テーマ曲「AGATHA」。1983年11月3日、新日本プロレスに初来日。試合直前に、自らマスクを脱ぎ捨て正体をデイビーボーイ・スミスと明かした。このデビュー戦が、ある意味衝撃的な内容だったため、このザ・バンピードのテーマ曲も非常に気になるテーマ曲となった。当時、別冊ビッグレスラー誌の誤まった情報掲載から、このテーマ曲名は、演奏者パラシュートの別曲「Ne-on」で喧伝されることもあったと記憶。80年代初期の発表曲のため、後から手に入れるのに苦労したテーマ曲である。
ザ・バンピート デイビーボーイ・スミス ザ・コブラ 写真 3枚
NWAjr王座決定戦だったことなど忘れさせる「謎のアストロノーツ」ザ・コブラ衝撃のデビュー記念日!
ザ・コブラを抜擢します。 凱旋帰国してデビュー戦は、マスクマン バンピートと対戦
キッド、スミスが全日本プロレスへ移籍したため、コブラはブラック・タイガーとMSGで王座決定戦を行って破り、初代タイガーマスクに次ぐNWA、WWFジュニアの二冠王となり、ヒロ斎藤と抗争を繰り広げるも、コブラの試合はテレビマッチで放送される機会もなく、ヒロとの抗争もテレビすら放送しなかった。ヒロも新日本プロレスを離脱してしまい、新日本プロレスもWWFと提携を解消したことで両王座は返上してしまった。それに伴ってIWGPジュニアヘビー級王座が新設、王座決定リーグ戦が行われ、コブラは優勝決定戦に進出して全日本プロレスから移籍した越中詩郎と対戦したが、スペース・フライング・タイガー・ドロップは飛距離が足りずに失敗し、ダイビングボディープレスも剣山で迎撃されたコブラは越中のジャーマンスープレックスホールドに敗れ王座奪取に失敗する。また越中がUWFから出戻っていた髙田延彦と抗争に入ったことで、ジュニアの中心が二人に代わってしまい、コブラは越中を破って2代目王者となった高田伸彦と対戦したが、両者リングアウトで王座は奪えず、「キング・コブラになって帰ってくる」と言い残し、ザ・コブラは消え、ヘビー級へと転向した高野がリングに登場した。
『ザ・バンピート』を作ってみよう ザ・コブラの世界ハズブロフィギュア改.
1983年11月3日 新日本プロレス 蔵前国技館
ザ・コブラvsデイビーボーイ・スミス(ザ・バンピート)!
昨年2021年の夏まで連載していました『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、初代タイガーマスクの世界を再現してみよう』のコーナー.
素顔に戻った高野だったが、新日本プロレスは高野を売り出そうとしなかったため中堅で燻るようになるも、それには理由があって高野はコブラ時代からプライベートで度々問題を起こしており、新日本プロレスも高野をトップレスラーとして扱うのには不適格と判断したからだった。新日本プロレスは武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の闘魂三銃士を売り出すことになると、高野もさすがに居場所を失うが、そこで若松市政から誘いを受けてSWSへ移籍を決意するも、そもそもそれは最初は俊二に来た話で高野が横取りしてしまったのだ。
[実況] ヒロインに全力投球 忘却マン 20 ”ポンコツ浪漫大 ..
昭和58年11月3日蔵前国技館、初代タイガーマスクが引退に伴い、空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座を巡ってザ・コブラとザ・バンビートの間で王座決定戦が行われた。(この試合は新日本プロレスワールドで視聴できます)
[実況] ヒロインに全力投球 忘却マン 19 ”ポンコツ浪漫大 ..
――確かに、事実確認と検証が必要ですね。
「これまで、多くの不穏マッチはプロレスマニアが語り継いできていますけど、この試合はそんなレベルじゃない。何が起こっているのかわからないわけですから。なんなら、あの試合で起きた数々の不思議な出来事がきっかけで、日本全体が違う世界線に入ったんじゃないか、歴史を変えているんじゃないかなと思うくらいですよ。
あの試合がなかったら日本の歴史は違っていて、消費税は導入されてなかったかもしれないし、リニアモーターカーはもう走っているかもしれないし、俺もワールドプロレスリングの解説なんかをやっていたかもしれない(笑)。それくらいの"迷"勝負でした」
――とてつもない"問題マッチ"だったんですね。ケンコバさんはザ・コブラについて、どんな印象を持っていましたか?
「身体能力では、日本のプロレス史上、もっとも高かったレスラーだと個人的には思ってます。ドロップキックの高さでいえばジャンボ鶴田さんも『すごい』と言われてますし、その映像も何回も見ましたけど、コブラは毎週、そのぐらいの高さを飛んでいましたからね。
あとは、マスクの額にあった『忍』という文字も印象的でしたね。コスチュームは正統派のメキシカンのいで立ちで、ビッグマッチになったら見栄えはよかった。テレビマッチでもヒロ斎藤さんに連戦連勝していたし試合もよかったはずですが......『ブレイクした』とは言えませんでした。うまくいかなかった理由はいろいろあると思いますけど、やはり日本でのデビュー戦がすべてだったんでしょう」
――コブラは1986年6月まで新日本のリングに上がっていましたが、その直後の7月シリーズから突如、マスクを脱いで「ジョージ高野」として参戦することになります。
「そうですね。ちなみに、ある関係者から聞いた話なんですけど、あの『熊本旅館破壊事件』の決定打は、高野さんだったそうなんです」
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コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めることになったが、コブラはタイガーマスクやマスカラスのマスクを被った若手選手らが担ぐ白煙を噴く神輿に乗って、白いタキシードを身に纏い登場、コーナー昇ったコブラはバク宙を披露するも、すぐさまバンピートがコブラを襲撃する。
バンビ―トは突如マスクを脱いで素顔を晒すと、ファンはダイナマイト・キッドだと思ってキッドコールを贈ったが、正体はキッドに似ていたスミスで、スミスはコブラはタキシードを脱いでいないコブラを場外へ追いやってボディースラムで叩きつけ、リングに戻ろうとするコブラにロープ越しのブレーンバスター、リフトアップスラムで場外に放り投げるなどコブラを徹底的に痛めつける。