沖縄のハブ対マングース。本当に天敵なのか? マングースは蛇の毒の耐性 ..
1910年、沖縄島にもハブ対策としてガンジス川河口からマングースが導入されました。当時、ジャワマングースと考えられていましたが、後に遺伝子解析によってジャワマングースの亜種とされていた、体が一回り小さいフイリマングースであることが判明。マングース科の分類が変わり、フイリマングースが種として独立したため、沖縄にいるのは「フイリマングース」となりました。フイリマングースは南アジアに分布、昼行性で単独で行動し、地上の巣穴で暮らします。黄白色の毛に黒~褐色の毛が混じるのが特徴です。
沖縄でもフイリマングースがハブの天敵となることはありませんでした。まず、フイリマングースは昼行性、ハブは夜行性のため、鉢合わせること自体がほとんどなかったのです。そればかりか、ヤンバルクイナやオキナワキノボリトカゲなど絶滅危惧種を含む固有の野生動物が食べられてしまい、数が減ってしまいました。対してマングースは適応して増え続けました。最初に持ち込まれたのは十数頭でしたが、2003年の調査では3万頭ほど生息していると推測。2000年から環境省と沖縄県が防除対策を始めたことで、現在は数が激減。在来の野生動物の数は回復してきています。
沖縄や奄美大島に持ち込まれたが、ハブと戦わず、もっと一方的に勝てるニワトリや小動物を襲うこと。 結果、マングース ..
奄美大島には、1979年に沖縄からフイリマングースが持ち込まれました。ハブやネズミ対策が目的でしたが、ここでも島固有の希少なアマミノクロウサギやアマミトゲネズミなどが捕食され、数が減ってしまいました。フイリマングースは島で増殖し、最も多いときで1万頭ほどいたと推測されています。島の絶滅危惧種を守るために、奄美大島でも2000年から本格的な防除対策が始まりました。マングース探索犬も加わり、ワナによる捕獲が続けられたのです。その結果、2018年の1頭を最後に、現在(2024年7月末時点)まで捕獲数ゼロが続いています。この成果と慎重なモニタリングの結果を受けて、2024年9月に根絶宣言が出される予定です。在来の野生動物の数も回復してきていることが確認されています。
コブラやマムシのような毒ヘビと実際に対峙することがあるマングース。一部のマングースはヘビ毒への耐性を持ち、毒の影響を受けにくくなっています。突然変異によってヘビの神経毒が受容体と結合しにくくなっているため、同サイズのほかのどうぶつと比べて毒が効きにくいのです。とはいえ、まったく毒が効かないわけではありません。毒ヘビの天敵と呼ばれる理由は、果敢に攻撃する勇気と機敏な動きにあります。マングースは毒ヘビに威嚇されても猛然と立ち向かいます。その際、素早く動いてヘビの攻撃をかわし、鋭い歯で頭に噛みつきます。毒に耐性があるからではなく、こうして俊敏に立ち向かっていくことで勝利をおさめているのです。
毒ヘビはマングースにとって恰好の獲物ではなく、危険を伴う厄介な相手です。遭遇してしまえば闘って食べることもありますが、逃げ出すこともあります。積極的に狙うことはまずありません。通常はずっと狩りやすい鳥のヒナや卵、虫やネズミなどを食べています。
かつて沖縄観光の定番だった「ハブVSマングースの対決ショー」、どうしてなくなった? 青春の握り拳 / 134,540 view
エジプトマングースは、古代エジプトでネズミやコブラを退治してくれることから聖獣と見なされ、神聖なものとして崇拝されていました。古い壁画に描かれていたほか、古代の墓からマングースのブロンズ像やミイラも見つかっています。儀式で使用する壺にもマングースの絵が描かれていたそうです。
沖縄本島と周辺の島に海外から持ち込まれ、外来種として問題となっているマングース。各地で在来種を守るための対策が進められ、奄美大島では根絶宣言が間近といいます。そもそも、マングースはどんなどうぶつなのでしょうか。ほとんど知られていないマングースの生態やマメ知識、人間との関わりについて解説します。
おきなわワールド ハブとマングースの水泳対決 コブラの説明ショー
沖縄といえば「ハブVSマングース」を想い出すのはきっと私たち世代まででしょう。かつて沖縄観光の定番だったこの手に汗握る対決ショー、いまでは観ることが出来ません。キングコブラなどの蛇が恐ろしい動物だった子供のころ、マングースってヒーローのように思っていたことを憶えています。
79年に放たれた奄美大島でも国特別天然記念物のアマミノクロウサギが激減したため、マングースは一転、害獣とされた。環境省と沖縄県は2000年以降、山原地域と奄美大島で駆除を始め、「マングースバスターズ」と呼ばれる職員が毎日、居場所をかぎ分ける探索犬とともに山中に分け入り、わなを仕掛けて捕獲した。
ブラビッシモなハブ、そしてマングース体験だった。 ありがとう沖縄、ありがとう琉球村、ハブ、そしてマングース ..
72年に沖縄が本土復帰し、多くの観光客が訪れるようになると、ハブとマングースの決闘ショーも人気になった。かつてショーを開いていた沖縄県本部町の観光施設「いこいの駅いずみ」の上原盛治館長(83)は、「一瞬でハブの息の根を止めるマングースは、正義のヒーローだった。当時の沖縄のシンボルは、『青い海と白いビーチ』に次いで『ハブとマングース』だったね」と懐かしむ。
フィーバーの背景には、当時、住民たちが畑のサトウキビを食い荒らすネズミや、かまれると毒で死に至るハブの被害に悩まされていたことがある。胸を痛めた東京帝国大(現・東京大)の動物学者が旅先のインドでコブラを襲うマングースを見て、ハブの天敵になるのではとガンジス川の河口で捕獲。沖縄に運ばれ放たれたマングースはわずか17匹だったが、長い歳月をかけて子孫を増やし、北へと生息範囲を広げた。
【大誤算】ハブVSマングースを夢見た沖縄、とんでもない目にあってしまう.
マングースといえば、かつてハブとの決闘ショーが沖縄の観光名物だった。そのマングースが、20年以上に及ぶ駆除作戦の末、主な生息域の沖縄本島北部・地域と鹿児島県・奄美大島で根絶目前になっている。毒蛇を退治するともてはやされた人気者はなぜ、居場所を追われたのか。
沖縄のヘビとマングースの戦いでマングースが負ける事ってあるんですか? ..
マングースの分布域は元々、中東から東南アジアだった。日本に生息していなかったが、1910年(明治43年)4月、インドから沖縄に持ち込まれると、住民らはハブとの戦いを見物しようと押し寄せ、地元各紙は連日のように、マングースの様子を報じた。